グッドマン・インタビュー

その59 (1999年8月)

鎌田雄一


山口正顯 (サクセロ、テナーサックス、バスクラリネット)

1961年7月12日(金) 東京生まれ。東京育ち。
学習院大学大学院人文科学研究科ドイツ文学専攻博士前期課程中退。
グッドマンには、'98年8月より、毎月、ソロで出演。

山口さんと最初に会ったのは、確か、下田のニュージャズシンジケートの毎年やっている夏のコンサートでしたよね。
シンジケートに参加したのは、いつからなの?
 大学院に丸々4年にて、修論、書かずに、やめちゃってから勤めたんだけど、やっぱり面白くなくて、辞めた後、しばらく、ブラブラしてゐたんですよ。その頃に、現代美術に元々興味があったんで、ギャラリーをあちこち見てまわってゐて、或る処で、アーティストが庄田次郎さん (tp) と知り合いだったらしくて、庄田さんがラッパを吹いてゐるのに出会ひ、シンジケートのことを教へてもらって、参加するようになったんだな。あれは、'93年だったかな。

楽器を始めたのは、いつなの?
 大学の1年から2年に上がる時の春休みにバイト先で知り合った奴が、妙な奴で、なんだかフリージャズが好きだ、とか云うんですよ。それまで私は、あんまり、ジャズに限らず音楽なんて聴いてなかったんですよね。せいぜいFMから流れてくるポップスを聞き流している程度で。……で、そのフリーを好きな奴が、面白いから聴いてみろと、すすめてくれたのが、生活向上委員会オーケストラの「ダンスダンスダンス」と坂田明さん (as, cl) の「20人格」だったんですよ。この2枚を聴いて、何と云ふか目からウロコが落ちた、とでも云ふべき状態になって、へぇ〜フリージャズって、こんな音楽があったんだ、と思ひ、それだけぢゃなく、自分でも何か楽器をやりたいと思った訳ですよ。
でもって、偶々、兄貴が中学の時にブラスバンドに入っていて家にトロンボーンがあったんですね。それを借りて、大学のジャズをやってゐるサークルに入ったんですよ。ところが、そのサークルはジャズと云ってもビッグバンドで、譜面が読めないと、どうしようもないんですね。大学でジャズをやってゐるのは、そのサークルしかないし、仕方がないから我慢してやってゐたんだけど、フリーの真似ごとやってゐると白眼視するような処なんで、結局は、やめちゃったんですけどね。その後しばらく、ひまな時に大学のキャンパスで独りでボントロ吹いてゐたんだけど、あれは独りでやってゐても、あんまり面白くないんで、サックスなら違うだろうと、テナーサックスに買い換えたんですよ。それが大学院に入る前だから、'87年ですかね。

下田で会った時のテナーは、ネックのコルクが、うすくなっててマウスピースがユルユルで、借りて吹いたと時、チューニングにも困ったけど、あれから買いかえたの?
 あの時も、そして今でも、大体、私はチューニングなんてことをする習慣は、ないもんで、問題は、なかったんですが……。でも楽器は、当時と違ふのを使ってますよ。

サックスの師、菊地成孔先生は、そのことで何か言わないの?
 別に何も云はないですね。レッスンの時もチューニングする訳でもないし。……他の生徒の時は、どうなのかは知らないけれど……。恐らく、こいつは調整のない音楽をやってゐるんだから、そんなことは、いいや、と思っているのかな。

自分も、チューニングをしない、あるいは、わざとルーズなチューニングでプレイするギターの人とかと演る時は、しないけど、ピアノとやったりする時は、無調でも(こそ)チューニングは必要でしょう。……それとも山口さんの目指すのは、民謡のような、平均律を使わない音楽なのかな?
 いや、別に平均律を使はない音楽を目指してゐる訳では全然なくて、ソロ以外のだれかと演る時に、その人が、お前のは音が合っていないと云へば、合はせる気はあるんですよ。ところが、幸か不幸か、何故か今までにさう云ふことは、なかったんですよ。

山口さんは意識してないのかもしれないけど、ニュージャズシンジケートには、昔から、そういうピッチのずれた音を楽しむところがあったよね。特に庄田さんなんかは、ピッタリ合ってると、気持ち悪くてしょうがない、と言ってたし。
  シンジケートも、メンバーが昔とは入れ替わって若い人も多いと思うけど、最近は、どんな雰囲気なの?
 確かに、新宿のライヴインピアでやるようになって、随分と雰囲気が変わりましたよ。ジャズライフという雑誌のスケジュール欄に、フリーのセッションで参加自由みたいなことが書いてあるせいで、毎回1人か2人は初めて参加する人がゐて、勿論それっきり来ない人もゐるけど、続けて参加する人もゐて、一時期の、ほとんどメンバーが固定してゐた頃とは、かなり違ひますよ。なんと云ふか、新しい風が入ってゐるようで。でも、それぞれが、好きなように好きなことが出来るといふ点では、変わってゐないし、やっぱり、私には居心地の良い処ですよね。

なるほど。
グッドマンでは、8月に菊地さんと、愛の師弟デュオが、あるようで、楽しみですが、今後のライヴはどんな感じでやって行くんですか?
今まで ずっとソロで演ってゐて、ゲストで参加してくれる人がゐれば、その人と一緒に、と云ふ形だったんですが、それとは別に、一度きりでは、なく、恒常的にデュオを組んでくれる人が誰かゐないか、とは思ってゐるんですがね。

じゃあ、最後に、前回の岩崎さんからの質問で、自分の1回目のグッドマンでのライヴのジョイントが山口さんとだったんですが、マスターからきいたところ「岩崎さんとは、当分の間、いっしょの日にジョイントは組まないで下さい」とのこと、嫌われちゃったみたいですけど、何故ですか?
いやあ……。
 私も岩崎さんの演奏を聴いたのは、あの時だけなのでいつも、あんな風に演ってゐるのかどうか丸きり知らないのですが、私には駄目だったんですよ。
 駄目と云ふのは、多分に私のヒガミもあるんでせうが、客が圧倒的に岩崎さんの方が多かったでしょ。それもあるし、彼の楽器の使ひ方と、ステージの運営のし方が、私には合はないんですよ。サックスをノイズの発信器としてしか使ってゐないでしょ。あれが、どうもね。それから、なんだかステージを降りちゃって、客席の後ろの方で、いつまでも、ずうーと、演ってると云ふのも、私には、いただけない。……と云ふことで、理由になるでせうか。


山口さんちは、本当に自転車で1分の所、ところがその日は、どしゃぶりの大雨、おまけに店にリハーサルが入っていたので、途中で一度、戻らねばならず、見事に、すぶぬれになりました。
 グッドマンのジョイントライブは、'84年の4月から、10弦gの高原さんと12弦gの中村さんに頼んで、始めたのが最初でした。その頃は、昼の部も夜の部も、びっしりライブが入っていて、もうジョイントにしないと新しい人が出来ない状態だったんです。両氏が快よくOKしてくれたので、その後のジョイントライブが定着しました。ソロやデュオで即興演奏をやっている人は、シャイな人が多く、友達も少ないようなので、少しでも、交流のきっかけになれば、と思って、毎回違う人どうし組んでいます。だから、山口さんのように言われると、正直ガッカリします。同じ人とは半年以上は組まないようにしてるし、半年たてば自分も、相手の人も、変わりますよ。次回は、ピアノの新井陽子さんの予定です。

グッドマンインタビュー
[<< 前へ]    [目次]    [次へ >>]

inserted by FC2 system