グッドマン・インタビュー

その64 (2000年1月)

鎌田雄一


岡部春彦 (テナーサックス・ひちりき・ティンクリ)

1961年2月19日、香川県、高松に生まれ、育つ。
岡山大学、文学部哲学科、卒。
グッドマンには'99年10月より、月に一回、ソロで出演。

哲学科って、卒業しても、つぶしがきかないでしょう?
 そうですねー。むしろ就職には不利になるかもしれません。……実は、哲学科の前に香川大学法学部を卒業してるんです。その時に就職活動とかも、したんですが、実家が司法書士なもんで、家業をつごうかと思って父にそう言ったら、そよで、もうちょっと色々やってこい、と言われて、まぁ、もう少し社会経験を積め、という親心だったんでしょうが、ちょうど、その頃、瀬戸大橋が、かかったので、岡山大学の学士入学を受けたら、先生と気が合って、じゃあということで行っちゃったんです。香川大ではR&Bのバンドで吹いていたんですが、もっと自由に吹きたいなあ、と思っていたので、岡山大のジャズ研がもり上がっていると友人から聞いて、それじゃあ、とも思ったんですね。

じゃあ、色々やる楽器の中では、テナーが一番、長いんですか?
 えーと、その前にリコーダーがあるんです。小2の時、はじめてリコーダーを見て、これだ、これしかないって思ったんです。でも、すごく内気だったので、人前で吹いたりは出来なかったのですが、小5の時、運動会の鼓笛隊を選ぶテストがあって、課題曲の「ぼくらは、みんな生きている」を、めちゃくちゃ練習して、はいることに成功しました。……で、中学に入って、入学式の時、ブラスバンドを見て、キラキラ光る楽器に、これだ、これしかない!と思って、入部しに行ったんですが、希望のトランペット(しか、知らなかった)は、他の人に、とられていて、強制的にサックスに、させられました。家に帰って、辞書で「サキソフォン」という項を引くと「金管楽器の一種、官能的な音をだす。」と、あり、「官能的」という項を引くと「性的な感覚を刺激するようす。」と、あって、えらいことになったな、と思いました。そうこうするうちに、母がサムテイラーのLPを買ってきて、「ハーレムノクターン」とか聴いて、これはほんまに、えらいこっちゃー、と思いました。それで、夢中になって吹いていたんですが、中2の夏のコンクールの直前に気管支炎になってしまい、医者に「吹くのを止めないと死ぬ」と言われ、あっという間に挫折しちゃいました。ほんとにつらくて涙がポロポロ出ました。つらい日々でした。でも音楽の先生に「吹くばかりじゃなく、もっと音楽を聴きなさい」と言われ、NHK-FMなんかを熱心に聴くようになり、バロック、現代音楽、ジャズ、民族音楽、映画音楽なんかが好きになりました。……高校に入って、受験のための勉強が性に合わなくて……この頃、、大阪の民族学博物館の友の会、会員になっていて、そこの音楽のコーナーで、雅楽とガムランのセットを見てやりたいなーと思ったりしました。演奏の方はサックスは、あまり吹けないので、主にリコーダーでバロック曲とかを練習したりしてました。……この頃、すごい音楽体験が、ふたつあって、ひとつは教育テレビで、知的障害のある青年たちが合唱する、というもので、唄う(声が出る)喜びで爆発的に笑いがこみ上げてきて、床をころげまわってしまう、というもので、もうひとつは、病院に祖母を見舞に行った時、そこで、ぼけたような、おばあさんが二人、肩を抱きあって、笑いころげながら地元の民謡を歌っていた、というもので、すごくソウルフルでした。中、高生の頃は、何を演奏しても、自分は本物じゃない、というか、何かお手本があって、それを勉強するという感じで、音楽をやっていて、それに納得できなかったんですがこれらを聴いて、これは本物だし、その人自身の音楽でもあるし、スゴイ!と思いました。……そういうことから、おずおずとフリー的な演奏をするようになり、サックスでちょっとやってみたりしてたんですが、高校の廊下で一人で瞑想的な演奏をしていると、合唱部の女の子たちが、窓をバタバタと閉めたり、しましたねー。……結局、高校は中退して働くようになったので、演奏は、しなくなりました。……その後、大検に合格して、香川大に入ったのですが、サックスは押し入れの奥に、しまってました。なんか吹くのが怖くて。ところが、3年生のとき、友人がR&Bのバンドをやっていて、「サックスを持ってるんだったら、ちょっと吹いてよ」と言うので、ちょっとくらいならいいかーと思ってライヴに出たのが、ライヴ初体験でした。体調は、いまいちだったんですが、吹けるのはうれしかったです。高松は四国の港町で、わりとブルースが盛んなんですが、ごっついブルースマンのおっちゃんに「ソロのとき音を二つ以上使うなんて、なまいきだ」とか言われて、しごかれて、楽しかったです。

ここから、最初の所に話が戻るわけですね。そうすると、ティンクリ(バリ島の竹琴)や、ひちりきは最近やりはじめたんですか?
 ティンクリは'97年に観光でバリ島へ行ったときに初めて見て、金属のガムランより音がやさしくていいなーと思っていたら、先生と出会い、観光をやめて、10日間ほど習いました。同時にスリン(竹笛)も習いました。打楽器王国のバリでは、笛は即興を担当する特別な楽器で、そこに笛のエッセンスが凝縮されているように思えて、興味を持ちました。……それにバリの雰囲気――音楽をすることが日常のあたりまえの事でありながら、すごく情熱的でもある――ということにも共鳴しました。高校の頃の夢が、ひとつ、かなったわけです。
 日本へ帰って来て、同じ感覚でやっているものを探していて、雅楽を見つけたんです。高松など都市部では、ないのですが、香川では金毘羅神社に楽部がある影響から、たくさん村落共同体の雅楽楽団が、あるんです。で、いろいろ探して、先生に出会い、弟子にしてもらったのが'98年の秋でした。
<(注)村落雅楽の話は、面白いので興味のある方は、直接、岡部さんから、きいて下さい。>

では、ここで大杉さんからの質問で「いろんな楽器を演奏なさいますが、御自分にとって一番、自由なのは、何の楽器ですか?
 技術的な自由さは、同じくらいです。……音楽的にはそれぞれが補いあっている感じです。サックスには強烈な表現力があり、スリンには繊細さ、ひちりきには脱平均率的旋律感覚が、あります。ティンクリをポコポコたたくのものん気で、いいものです。

四国では、フリーな音楽の置かれている状況は、どうなんでしょう?仲間とか、いるの?
 うーん。ぼくが四国の全てを知ってるわけでは、ないですが、ぼくは主に、公園で吹いていました。でも最近は、普通のジャズのライヴハウスなんかはダメですが、美術館の人が興味を持ってくれて、即興だけのライヴをやりました。他に散髪屋さんとかで、新しいファッションに関心を持っているからだと思うのですが、やったこともあります。

演奏仲間を探して、神戸に行ったりしたこともあるそうですね?
 はい。2回ほど行ってみました。何人か、いいなと思う人もいたんですが、やはり地方都市で層が薄いせいからか、ボス的な人がサークルを仕切っていて、ひとの演奏を全否定するような批評をするのに驚き、傷つきました。フリーな音楽にとって大切な自由な精神とは、ほど遠いな、という印象を受けたので、もう行っていないのですが……。

ここしばらくは、月に一回、四国から東京にやってきて演奏するわけですが、どのような展開をイメージしてますか?
 グッドマンの出演は、'97年の1月に、ピアニカの、しばてつさん主催のプノイペンソンリアルタイムオーケストレーションワークショップに参加したのが初めてです。この時、初めて、仲間だと思える人々に出会いました。グッドマンでは、どの人も自由に堂々と自分の音世界を展開しており、素晴らしい、と思います。ぼくも月に一回、ここで演奏していますが、大きな喜びであり、また誇りに思っています。今後は、ここをベースに色々な人との出会いを楽しみながら、自分の音世界を創っていこうと思っています。


次回は、ひとり芝居&歌謡ショーの西田圭さんの予定です。

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