グッドマン・インタビュー

その69 (2000年6月)

を、するつもりだったのですが石内さんが、北海道に馬さがしの旅に出てしまったので、彼の手紙と詩をのせることにしました。

鎌田雄一


石内矢巳 (詩朗読, p)

生年月日などは、次回の対談で紹介します。

グッドマンで朗読をはじめてもう10年になります。朗読をはじめようと思ったきっかけは、ただ詩を書きつづけている状態から、詩を外へ解き放とうと思ったからです。ぼくは詩を書くことで、精神と感覚にとっての発見と発明をもたらして、あたらしい地平を見つけようとしたのです。ある種の使命感もあって、歴史上の神々や哲学者や名ばかりの詩人たちとのたたかいを、志す身であるとの強い自覚も持って詩を書きつづけていました。朗読を始めた時期に、このたたかいにひとつの終焉を告げようとしていて、その時期にグッドマンを知りました。グッドマンという場所にひとつの実りを持っていき、そこからまたあたらしい詩、あたらしい自分を見つけたいと思って、朗読することになりました。
 ぼくは存在の本質において、借り物をもたないことを自らの起源としています。このことは後で触れますが、影響を受けた世界を自分のものにするといった次元のことではありません。そして影響を受けないようにするということでもありません。借金は単に返せば済むことですが、本質における借りは詩人にとっての生命線を断ち切ることなのです。ぼくにとっての詩人とは、この生命線を保ち、自らがふくらませた世界に未知の光の種を蒔く人であり、根底からその存在を祝福できる人です。今尚ぼくが求めているのは、真の詩人と会いたいことです。グッドマンでの朗読を通して、もしかしたら、その願いが叶うかもしれないという淡い期待もあるのです。
 グッドマンには最初、たまたま前を通りかかって、何か引かれるものを感じて入っていきました。とても厳しくひたむきな、それでいて居心地のいい空気を感じました。はじめの頃は誰かの歌や演奏を聴くというより、グッドマンに行くことの喜びが大きかったことを記憶しています。しばらくして、自らの内に閉じ込めていた詩という鳥を、この場所に放そうと思いはじめたのです。その思いの底には、真に何者かに必要とされている詩は、誰のものでもないという確信があって、どんなに小さくとも公の場所で、詩を自分の声で公開しなくてはいけないとも、自らにつぶやきました。もし自分の中に発生した詩によって、もたらされた世界がどこか遠い所から運ばれてきたものならば、自分の中だけに留めて置くことができない思いもあったからです。そういうことを実感する、自分が書きながらはるかな星か未来からの贈り物のような詩が誕生したこともあるのです。その時、一番最初の発見者として、読者としてその詩に触れることになります。
 演奏者の方たちといっしょに朗読をはじめたのは、本来書かれた詩はそれで完結しているので、逆に自由に音によってふくらまされ、音によって持ち上げられ、音によって侵され、音によって運ばれ、音に溶け合い、音と響き会い、音と反発することで、詩の動いていく軌道を見ようとしたのだと思います。そのことでさらに輝きと高さと速さを持った詩を書く糧にしたいと思ったのです。それに加えて朗読だけだと、自分の朗読が下手なので、聴きに来てくれている人に申し訳ない気もありました。
 一年程前に官能の蝶という詩を書き、そこに真空という言葉を使っていますが、これはすべての存在の起源、詩の起源、夢の起源をつきとめた証としての言葉です。これはぼくにとって広大な宇宙感との完全な決別を示しています。自分がたどった軌跡のもっとも高い所で、一瞬、完全な真空地帯が出現し、動き去ったのです。そこで発生したあらゆる存在の原初となる、真透明な意志にふれることができました。それをぼくは空子と名づけました。成ってゆこうとする意志の元素です。この空子はこの世でもっとも速く進み、もっとも遠くへ進むために、それに近づく速度をもったインスピレーション―このインスピレーションの速度で言葉を連鎖させる速度を持つ者しかおそらく掴むできないように思っています。先に書いた借り物を持たないとは、この運動だけは借りることができなく、借りたら創造の生命線が断ち切れるということです。詩人、芸術家の死です。
 ぼくはただ自分自身のために、このことを確信しているので、空子の存在を証明することは不要だと考えています。ここでこのことを持ち出したのは、朗読している時、この空子に入った詩が突然、時空を超えて切実な詩人の魂に、届くかもしれないという思いがあるからです。現実に目の前で聞いてくれている人と、未来と、この瞬間にまだ出会わずにいる詩人に同時に届けているという連想を持っているのです。空子のことを書きましたので、本来の自分はどこにあるのかという問いに、ぼくはこう言います。空子の中にあって、その空子は自分の中を、夢の中を、時に自分の外にも飛び出して、もっとも速い速度で動き回っていると。心は空子に映し出される完璧な鏡なのです。
 グッドマンで詩を朗読して今まで一番印象深く一番うれしく、心の支えにもなったことは、青透明な故郷という詩を朗読した後、鎌田さんが「すごくいい詩だね、今から会うみんなを抱きしめたくなるね」と言ってくれたことです。詩が思いがけず祝福されてふくらみを感じました。ぼくの書く詩ははるか未来からやってきたように、もっとも遠い心の地平に映し出された映像と旋律を、できるだけ鮮やかに浮かび上がらせることを核としています。言いかえるなら、夢の遥か彼方の地平と交差する真空地帯に発生する世界の描写を、詩の源としています。そのために日常の世界から見れば、とても疎遠に感じるだろうと思っていたので、鎌田さんの言葉は花が咲いたように本当にうれしかったのです。
 ぼくにとって詩とは、現実の世界に対してまったく別の光と広がりと結晶で充満した、気圧と水と光で成立する世界を誕生させることだと信じています。
 自分にとっては、自らの外で広がりつくられていく世界全体は、余りにも巨大で無秩序です。そしてまるごとのむき出しの宇宙は、ひとりの人間を恐ろしく消滅させてしまう洞窟です。世界全体は、自分自身とは別の力と法則でつくられているのです。まるごとのままでは存在空間は生まれないとの実感があります。自然界もまた、存在空間とは別の法則でその外に対立しているように思えてならないのです。この世界の否定というのではなく、その原材料を切り取るという発想でもなく、自らの内部で自らの存在法則によって、あたらしい地平を広げて、その上に見えない糸で、収縮と開放が自在な世界を縫っていくことなのだと思うのです。対立する側の言葉をあえて使えば、自らに対して常にあたらしい神として、自らにふるまうことができた時、ぼくは自分が詩人だと認めることができると思います。伝説の神々は、この閉ざされた荒野のままの世界にまるごと奉仕しています。どこにも存在空間に対する発明を成していません。詩人は自らの内部を、真に開かれた世界へとつながる発明で満たして進むのです。
 詩人をぼくは志向しつづけています。その達成は、本当はないのかもしれません。ただ目指しつづけるだけです。

  2000年4月22日
               石内矢巳


  官能の蝶

真空という世界があるという
どこにもまったく物の気配のない
元素と呼ばれる微粒子すらない
何もない
何ひとつ犯されないまま
ただ待ち受けている空間を想い浮かべてみる

真空という世界がひらくことを考える
肉の存在の内側から
透きとおる青い宙が
未来を引き受けて浮かび上がる

自分というものは
真空に入りこんだ
ひとつのきらめく意志から
はじまったのだと空想してみる
自分になるために呼び寄せられた原料は
たくさんの衝突をくりかえし
変形を受け入れ
一個の新生の存在をつくったのだと想ってみる

そんな明るい出発の仕組みに
支えられているのなら
もう永遠の真珠を探すこともない
目の前の輝くものたちや
もっと輝く肉たちの響きを
綾にして織っていこう
夢と真空に支えられて
求め合った傷口から
官能の蝶が舞う



  青透明な故郷

目を閉じれば内側に広がる空がある。いつもはちかしく低くで響いているが、
極点まで高くへ延びていくことがある。
澄みきった球面が寄りそうように近づき、また最頂点まで広がっていく。
見えない梁が中心にしっかり建てられて、ある高さで張りつめて動かない時もある。
この空のひとつひとつは一切の混入物のない、空だけのための生きた元素でつくられて、
溶け合い、滑り合い、抱き合い、奏で合っている。
ここには太陽はいない。
空の元素自らが光を発し、自在に光を閉じている。
そらはやわらかく澄みきるいとなみをつづけている。

この空の下で花も石も人もやわらかさを限りなく研いだ光体を含み、
お互いを照らし合い、重なり合い、包み合い、打ち鳴らし合い生きている。
大気は自らを湧き出している。ひとつひとつの大気の元素は小さな音色を打ち、
中空で歌い、空と共鳴する。湖のような海は満ちている
海はどこかの国や島につながるのではない。
水はしぶきをあげず、音をたてることがない。
強くお互いが溶け合っているため、招き入れた存在を完全な純度で滑らせる。
その透明な力は存在の向かうべき方位を定める。
海はいつも明るい浮力を放っている。
ひとつひとつの水は、他の水たちと静め合い、照らし合う。
波で汚されることのないまろやかな海。
声はこの星の大気の研いだ糸のように空と花と石と大気と調和し、
自由に結びつき離れる。

そこには物語というものもない。澄みわたる官能と感覚で充満している。
樹木からの香りはこの星の中心から香ってくる。
球体がゆるやかに収縮すると、碧真珠の夜になり、
球体が開くと朝になり、いっぱいまで開くと真昼となるが、
その時間は長くつづく。そこには暗闇はない。
ここがぼくの青透明な故郷だ。


グッドマンインタビュー
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