グッドマン・インタビュー

その72 (2000年9月)

鎌田雄一


小宮いちゆう (tp)

1948年10月10日、江東区、亀戸に生まれ、育つ。
法政大学、法学部、大正大学、仏教学部、卒。
グッドマンには、'85年5月より、宮内俊郎dsのパーカッシヴィユニティーのメンバーとして出演開始。現在は、その時からのピアニスト雨宮拓に、小川圭一as 池上秀夫b 難波博充ds のクインテットで1ヶ月おきに出演中。

前々から不思議に思っていたのですが、音楽活動と平行して詩人として同人誌にも参加している小宮さんが、演奏の中には、いっさい文学活動は持ち込みませんよね。どうしてですか?はっきり分ける必要があるんですか?
 昔は、音楽と文学、その他の日常の活動とか、いろいろ意識して分けているところがありました。それは、自分の中では一つであっても、それぞれが独立した表現としてより内実のある作品を作っていきたいと思う気持ちが強かったからだと思います。
 今は、そのような気持ちは、ありません。自由にできれば、と思っています。かたちをとらえる視点が、ここ2〜3年で変化してきたように思えます。

小宮さんと初めて会ったのは、'80年頃、法政学館ニュージャズシンジケートで、だったと思いますが、文学活動は、その頃から、やってたんですか?同人の方々との知り合うキッカケは?
 私は小学生の頃、小説家になりたかったらしのです。というのも、ある時、「僕の夢」という小学6年のときに書いた作文が、机の中から出てきたことがあって、そんなことが書いてありました。
 同人誌に参加したのは、現在続けている「虚空」の前身「自在」、たしか1984年創刊の時、参加の依頼を受けてからです。思い続けていると、あるとき、ふとチャンスがやってくることもあるので、ありがたいことです。文学者であり、僧侶でもある小山榮雅氏が実質的な意味で中心となってはじめられた同人誌で、小山氏は、私にとっては遠縁にあたる人ですが、いろいろな意味で影響をうけてきました。私がトランペットをやりはじめたのも、ジャズを聞きはじめたのも氏の影響です。具体的なものを通して、何かに対する姿勢といったものを教えてもらったことが一番素晴らしかったと思います。まじめに取り組むといった、ごくあたり前のことです。
 さて、文学については、いろいろ思いがありますが、今でももっともっと沢山の本を読まなければ、又、読みたい、と思っています。自分にとっては、同人誌に参加している程度で、文学活動と云われるのは、恥ずかしいです。

そうまで言うからには、やっぱり音楽活動に対する思い入れの方が強いですか?
 表現するということで云えば、文学も音楽も同じですがたずさわる時間ということでは、音楽活動の方が長いという現実は、あります。さて、そこで、いつも思うのは、表現と技術のことです。表現するについて、技術は必要なことは云うまでもないことですが、それが絶対でない、ということも事実でしょう。技術を磨くということは、表現する意識を磨く、ということと不思議な関係にあるように思われます。……話は少々変わりますが、生活には、具体的な部分と抽象的な部分が当然あるわけで、そのバランスが大切だと思います。そして、何かを表現する時(それは、音楽とか文学に限らず、対話でも食事を作ることでも同じかもしれませんが)、そのバランスが時として、くずれる時の不思議な魅力、あやしい思い、不安な状況、そして、それをも、つつみこむ何か大きな力を感じることもあります。音楽が素晴らしいのは瞬時性(このような言葉があるのかどうかは、わかりませんが)にあります。その時、まさに鳥肌のたつような寂しさや、楽しさお強く実感できる時があるのです。

小学生の頃、小説家になりたい、という作文を書いた時の気持ちは覚えてますか?一方トランペッターになろうと思ったのは、いつですか?
 うろおぼえですが覚えています。私は、当時、有島武郎の「一房の葡萄」という作品が好きで、こんな作品が書けたらいいなぁと思っていたのしもしれません。ご存知かもしれませんが、本の内容は、小学生が絵具を盗むこと、その謝罪を通しての心の葛藤が、えがかれています。とても瑞々しく感じました。
 トランペッターとしての思いは、逆に今思うとはっきりしていません。高校生の頃、ブラスバンドで楽器を手にしてから、今日に至っています。……ただ、いつも音の存在、それは、時には、とても確実であり、時には、とても、じゃまであったり、無意味であったりするのですが、そのことを感じていたいと思います。(あたり前ですが)そして最初に聞いたのがハリージェームス、クリフォードブラウン、アートファーマーなどのジャズだったので、そのまま、好きになってしまいました。今さら、他の楽器をやろうとは思いませんが、トランペットにめぐりあえたのは幸運だったと思います。

小宮さんにとって、ニュージャズシンジケートとは何だったんでしょう?又、最近、再開したイースタシアオーケストラの話なども、きかせて下さい。
 シンジケートは、とても自由な空間だったと思います。又、貴重な体験でもありました。ただ現実には、束縛を感じたり、対立の意識を持った人たちもいたようですが。自分としては、いろいろな人と共演できる素朴な緊張感はとても大切なものだった、と思います。そこで初めて出会った人々の中では、サックスの赤木さんや長船さんのプレイがなぜか、不思議に印象的でした。
 イースタシアオーケストラでは、与えられた役割をしっかりと、力強くプレイしていきたいと思っています。……先日のライヴで梅津さんがアルトサックスで尺八のような音色を出してプレイしていましたが、表現の幅と深さについていろいろ考えさせられました。又、イースタシアは、とても楽しいですが、危険な部分もあり、自分の中で、どう消化していくのかが問題だとも思います。

危険な部分とは具体的に、どういうものなのでしょう?又、自分のクインテット、そして、一緒にやらせてもらっているラサーンラサーンや東京オーケストラとの関連はどうなんでしょう。
 危険な部分とは、プレイの中でのユーモアの表現についてです。ユーモアはとても大切だと思いますが、観る人によっては、単なる、オフザケと、とる人もいると思います。大きな意味での客観性を持ったユーモアと、めさきのウケを狙ったオフザケとの、違いに対する意識は、常に持っていないと、危険だと思います。
 自分のクインテットは、基本です。他のバンドは、自分の中にある、知らない可能性を引き出してくれるようで、楽しいです。

では、最後に、前回の斉藤さんからの質問で「小宮さんのトランペットの鳴りは、すさまじいですね。普段、どんな練習をされて、いらっしゃるんでしょうか?
 特別、かわったことは、していませんが、ロングトーンの練習は大切にしていきたいと思っています。
 自分のプレイについては、時には、空を飛ぶように、時には地を這うように、緩急自在にプレイできれば、そして、全体として、太い線が感じられる、そんなプレイを肩に力を入れず、思いを込めて、していきたいです。


次回は、ドラムの難波さんの予定です。

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