グッドマン・インタビュー

その83 (2001年8月)

鎌田雄一


 高堀律子 (ひとり芝居)

1972年1月27日。東京に生まれ、育つ。
舞台芸術学院、演劇部本科、卒。
グッドマンには、2000年の11月より、毎月、出演。

演劇に進もうと思ったのは、いつ頃からなの?
 子供の頃から。……母が新劇の女優をやっていて、芝居を観にゆくことが日常化していて、自然に……。小学生なのに好きな女優はジャンヌモロー、とか言ってました。

じゃあ両親も、やりなさい、やりなさいって感じで?
 やりなさい、とか、やめなさい、とかいう感じでは、なかった。好きにすれば、という感じ。
 実家は変わってて、常に知らない大人がごろごろしていて、その中に、作家志望とか、元役者、とか居て、影響を受けたかも。

舞台芸術学院っていうのは?
 高校を卒業して、「さあっ」って感じで、新劇の劇団に入ったのですが、日本人なのに金髪のかつらをかぶって、「メリー。」とかやってるのが、どうも合わなくて、半年でやめ。そんな時に、たまたま舞芸の発表会を観て、役者さんが、楽しそうにやってるのをみて、そして今までまたことがないような種類の芝居を、やっていて、衝撃をうけて、その一週間後に、試験を受けて、入りました。2年間で、わりとあらゆるジャンルの稽古をして、狂言とかもやって、カリキュラムが、バランスがとれていて、面白かった。講師の方々が、又、面白くて。……自由でしたね、学校自体が。
 で、それまでやっていた芝居というのは、わりに決まり事がきちんとあって、決められたセリフを言って、みたいな感じだったのが、ジャンルでいうなら小劇場劇に近いと思うんですけど、芝居の中で、どう動いても、アドリブをしてもかまわない、というスタイルで、それは金杉先生に出会ってから、特に、そういう即興芝居の面白さ、みたいなものを感じて、魅かれていきました。……それまでは、「役には、自分を忘れて、なりきるものだ。」という風に思ってたのが、180°変わって、「いかに舞台上で、ありのままの自分でいられるか。」というのが、私の課題と、なりました。
 ……で、舞芸在学中に、本当は校則では禁じられていたのですが、ひょんな事から、自主製作映画に参加することになってすごくハードな日々でした。

どんな映画?8m/mフィルムで?
 アクション映画?快人(怪人?)二十面相みたいな人が次々に事件を起こして、私は探偵の役で、それをつかまえる、という。撮影は、はじめ8m/mで、あとで16m/mに撮り直したので、18才〜21才まで関わりました。題は「秘密探偵」といって、ぴあフィルムフェスティバルで特別賞を取って、林海象さんに気に入られました。スタッフは皆、プロの撮影班の有志で、仕事の合間に撮り、監督は、足立博志さんという方で、モスラとかの特撮現場に今も、いると思うのですが……。

その後、すぐ唐組に入ったの?
 いいえ。舞芸卒業後、一応、某事ム所に入って、仕事として、オーディションを受ける日々だったのですが、全然まともなのには通らなくて、商業演劇にチョイ役で出たり、なぜか脱ぐ仕事が来たり、あとはモデルみたいなことをやっていました。
 そんな時に、舞芸の同期生で劇団を組まないか、という話があって、参加しました。「ドロップス」という名で、本当に小劇場っていう感じの、キャパが100人くらいの所で、一から皆で芝居を作っていくって感じでやってた時に、不意に妊娠して、それでも「私は紅(くれない)の妊婦よ」とかバカなことを言って、7ヶ月ぐらいまで、やってました。
 ……で、一応、結婚したし「そろそろ疲れたな……。」というのもあって、引退したのが22才で、それから3〜4年、ほとんど舞台とは無縁の生活でした。
 それで、「ドロップス」の座長の夏川くんという人が、戯曲を書く人で、唐さんの所へ、よく送っていたのが気に入られて、「何か、女優が、今、唐組に少ないらしいよ」という話になって、何故か、その時、「あ、野外テント劇は、今までやった事がない!」と思って、猛烈にやりたくなって、で、すぐ入団試験を受けて、入りました。

唐組は、どうでした?
 凄い厳しい所でした。芝居の演出が、ではなくて、新人は、もう奴隷状態で……。
 とにかく長く入団している人から序列がついていて、上の人の言うことは、絶対やらなくては、いけなくて、自分は入団後すぐ、役がついて、しかも女優が少なかったので、重要な役で、役者と雑用係の両方やらないといけないし、子供の世話もあるし、で大変でした。

何年いたわけ?
 一年もいなかったです。2月に入って、4月から「眠り草」という芝居に出て、8月に座内発表という、関係者のみ観られる「動物園が消える日」という芝居のヒロインをやって、秋公演の稽古をしている最中に倒れて、松沢病院に入院しました。

小さい頃から、それまで、演劇一筋って感じですか?
 いいえ、5才の時からピアノを習ってましたが、小学5年の時に友達にピアノの、もの凄く上手なコがいて、家に来て、弾いてくれたんですが、それを聴いて、ああ……かなわないや、と思い、自分には才能がないな、と思って、やめました。
 ……で、中学の終わりから高校にかけて、ちょうどバンドブームあって、芝居なんてカッコ悪いぜって感じで、パングバンドをやってました。パティスミスとかを路上でやってました、女ばっかしで……。

その辺のつながりから、グッドマンでは、ひとり芝居と同時に演奏もやるようになったの?月本さんとも、よくやりますよね。
 まず、今の恋人である黒木くんという人がいて、彼が福岡で大耳レーベルというフリーセッションをやる場で、活動していてそこに月本さんが、何かのつながりで来て、二人が知り合って、黒木くんが唐組入団の為に東京に来て、私に月本さんのライヴを観に行かないか、と誘ってくれたのが、グッドマンに行った最初です。
 私は元々、すごく頭が固い方で、芝居や音楽をやるにも基礎をしっかりやってからでないとダメ、みたいな感じだったのですが、最近色々あって、人生観が変わったのと、すごく面白い、その人にしか出来ない方法で表現をしている人達と知り合うようになって、音楽の知識がなくても音楽表現をしていいんだと思えるようになりました。
 グッドマンに最初出演したのは、去年の初夏頃、本当に精神的に具合が悪い時に、黒木くんから、「白石民夫さんのライヴ、いかない?」と誘われて、新宿のカリヨン橋に観に行って、なんかその頃、本当にライヴも芝居も自分が出来てないのが、くやしくて、白石さんのライヴ演奏を観た後、「くやしーい。」と言って、泣きながら、暴れたんです。サイテーですよね。……でも、そこで、白石さんの奥さん、みちこさんっていう、やはり表現活動をしている人なんですけど、私を抱きしめながら「誰にもほめられなくても、やりたかったら、やってゆえば」みたいなことを言ってくれて……。その後、すぐ月本さんから、グッドマンに自分が出れなくなったので、ピンチヒッターで出ないかって話があって、8月に出演したんです。

今までグッドマンでは、夏目漱石の「夢十夜」と、あと、自分の体験を元にした一人芝居を、やりましたが、今後の展望は?
 最近、うたうのが好きで、下手くそなんですけどドラムをたたくのも好きなんです。音楽もかなり好きなんで、やってゆきたいな、と思うんですけど、やっぱり芝居がメインになると思うので、……誰か呼んで二人芝居もやろうかな、と思う反面、ひとりでやりたい題材は、たくさんあって、ネタは尽きないけど、それをちゃんと形に出来るか、どうかは、?です。……あと基本的に即興で、その場で、生きる、存在すること、を大切にしたいです。

では、ラストに前回の鈴木さんからの質問で「僕は、人間というか人類は、地球外から来たのでは、ないか、と思っているのですが、あなたは、どう考えていますか?だって、人間だけが、この地球上で、理にかなっていないように思えて、しかたないんです。
 私は、たぶん、なんだかんだ言いつつも、人間が好きだから、芝居をやっていくんだ、と思います。私も人間の醜いところや、理にかなっていないところは、すごく納得できないんですが、例えば一年後に地球、人類が滅亡するとしても、人間は子供をつくるし、産むと思う。自分が出産した経験から、自分も、自然、というか動物なんだなぁ、と感じたのです。


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