グッドマン・インタビュー

その84 (2001年9月)

鎌田雄一


 BAMBI (ドラム、うた)

1968年11月18日。東京、国分寺に生まれ、育つ。
私立八王子高校、卒。グッドマンには今年4月から出演。

いつもは、最後にするんだけど、今日は最初に、前回インタビューした高堀さんからの質問で「私は、将来住んでみたい国が色々あるんですけど、どこか、ひとつ自分に最もヒットする国があるとしたら、どこですか?私が一番、住みたい所はスペインです。
 それは、アメリカです。なぜかと言うと、ネバダ州とカリフォルニア州に親戚がいて、ものごころついた頃から、アメリカの文化的なものが家にあり、一時帰国していた叔母から、アメリカの話をきかされることもあったからで、5〜6才で自分が将来アメリカに行くのは、当然だ、と思ってたし、子供の頃、英会話学校にも行ってたからです。(決して、住みやすい国だ、とは思ってませんが。)

行ったりしたの?アメリカ。
 一ヶ月半くらい行ってきました。行っても新しい発見とかは、あまりなかったですね。情報は日本にいても、いっぱい入ってくるから。……だけど、それまで会ったことのなかった従兄弟とかに会って、親戚に日本以外の人がいるのを実感しました。

次回の予定は?
 できれば、来年の秋から一年位、行ってきたいと思っています。

音楽がらみで?
 それも、ありますが、英語をマスターしたい、というのもありますし、西海岸の音楽関係の人と知り合いになりたいし、ストリートでやったりしても面白いかなって思っています。

ドラムをやりはじめたのは、いつ頃なの?
 高校一年生の一月からです。……中学の頃は、ピアノをやりたいと思ってたんですが、母に、そんなお金は、ない、と言われて、高校生になったらアルバイトが出来るから、それで楽器を買おうと思ってたんです。……その頃、ちょうどレコード屋のモニターテレビにYMOが写っていて、高橋幸宏さんがポーカーフェイスで叩いていて、これなら出来るんじゃないかと思って……でもドラムを買って、まず、ハイハットの組立てから、分からなかった。……テレビをよく見て、ドラムのセッティングが、どうなっているか、から研究しました。組立てには、そんなに日数は、かからなかったんですが、いざ、リズムキープの練習になると苦労して、色々工夫しました。とにかく必死でした。

教則本とかは、どうしたの?
 バーナードパーディの教則ビデオを買ったんですよ。そしたら彼がビデオの最後に、全てはルーツメントから来ている、と言っていたので、ルーツメントのことをしらべたら、マーチングの基礎の教則本だと、わかったんです。でも、まだ全部は、マスターしてません。……あとは、ピットインに行って、出演しているドラマーを、よく観察してますよ。今でも。

どんなライヴに行ってたの?
 村田陽一オーケストラの佐野康夫さんをよく見に行きました。なぜかというと、ジャズからロック、ファンクと、あらゆるジャンルをこなす人で、とにかく佐野さんみたいなドラマーになりたい、という意識があって。その頃、デガショーも、よく聴いてたんですが、CDショップの店員さんに、佐野さんは、古沢良治郎さんの弟子だよ、と言われ、それならば、とエイトミュージックのパンフレットを、とりよせたんですが、住んでる所から遠いので……。今は誰にも習ってないんですけど。……

話が、ちょっと戻るけど……自己流である程度練習してきて、教則ビデオが必要になったキッカケは?
 リズムアンドブルースが好きなこともあって、GROOVEって言葉をちらほら聞くようになって、普通のプレイとは違った「間」とかゆうものがあるらしい、と思っていた時、バーナードパーディの教則ビデオのパッケージにGROOVEドラミング、ということが書いてあって……それでビデオを見て、ベースとドラムのかねあい、とか、バンド全体の気持ちいいズレみたいなのに、はまったし、黒人のドラミングの特調(特徴?)みたいなのをつかみたかったし、知りたかったからです。

バンド組んでやったりしたの?
 高校時代は、音楽の趣味が合うヤツがまわりにいなくて、しかも家にレコードプレイヤーもなかったから、ラジオから録音したテープとか、FEN放送を聞いて、それとジャムってました。……それから、いい意味でも悪い意味でも23才の頃、精神病にかかって、デイケアという、同じ病気の人が昼食したり、レクリエーションをする所に行っていて、ドラムは、一時やめてたんですが、そこでギターを弾いていた人が、一緒にやらないか、と言ってくれて、そのバンドが、一番最初に入ったバンドだったんですよ。……今になってわかったんですけど、そのアップルパイ(僕がつけたバンド名)とユニークバンドは、当時、しょっちゅう対バンしてましたね!

BAMBIがグッドマンに初めて出演したのはユニークバンド、でしたね。誰と一番交流があったの?
 まず自分が音楽でプロになる、と決めた時に、クレイジーキャッツというライヴハウスみたいな作業所が、あると知って、そこに所属して、その中にユニークバンドのメンバーがいる、と知って、グッドマンに見に行ったんですよ。そうしたらドンドン参加できるということで、出演しました。
 そして、その頃には、特に仲良かったわけでは、ないんですけど、今になって思えば、細田茂美さん(g)ですね。……とにかく彼のかもしだす「間」や「音楽」……カチッとした演奏もするし、ノイズ系もやったり、そうゆうことをいかにも簡単そうにやるんですよ。でも本当は、それって普通の人じゃあ、さらっと出来ないんですよ。……それに僕も音楽だけで食べている人も知っているんですが、それもたいへんだけど、音楽だけで食べてない人の中にもすごい演奏をするミュージシャンがいるはずだ、と思っていた頃に出会ったのが細田さんだったんです。

グッドマンでは、今、ドラムソロとドラムひきがたりをやってますが、これから、やりたいことは?
 そのうち、僕がドラムとボーカルで、曲を書いて、ギターとベースの人に、こうゆう感じで、と言って、ある程度わかってくれるメンバーを探して、そのスリーピースのバンドで色々なライヴハウスに出ようと思ってますし、ひと前では見せなくても、他の楽器も、かっちり演奏できるように、なりたいです。


次回は8月号の表紙を描いてくれて、詩の朗読をやっている永山さんの予定です。

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