グッドマン・インタビュー

その86 (2001年11月)

鎌田雄一


EMYU (ガラスの笛)

えみゅ 1950年生まれ
(祖先はスコットランド系の移民で代々鉄道員)
生まれ・育ち: 列車の汽笛がこだまする米イリノイ州の、とある町
最終学歴: ノースウェスタン大学大学院(ジャーナリズム科修士)
グッドマンには、今年の8月より、市村智ts 望月芳哲eb とのトリオで1ヶ月おきに出演。
11月は28日(水)永山 詩朗読 中溝p,obのデュオにゲスト参加、予定。

昔、フルートをやっていたそうですが、いつ頃から、どの位?クラシック?
 フルートは10才の時に始めました。師匠はマージョリー・ヴァレッタと言い、有名なフランスのクラシック・フルーティストのマルセル・モイーズの弟子の一人でした。私はそういうわけでクラシックを通じてフルートを始めたと言えます。モーツァルト、グルック、ヘンデル、バッハと言った作曲家の作品を吹いていました。15の時、ミシガンのナショナル・ミュージックキャンプに参加し、沢山のフルーティストたちと逢いました。そこで「多くの人が自分よりはるかに上手だ」ということを悟りました。その後、生活のためにジャーナリスト(記者)になる決心をして、フルートはアマチュアとして吹くようになりました。たとえば、地元のオーケストラで演奏したり、友人と一緒に大学のリコーダーグループでリコーダーを吹いていたこともあります。でもプロの道を選ばないで、本格的にフルートを吹き続けるのは容易なことではありませんでした。

プロには、ならない、と決めても、演奏を続けていった、その情熱は、どこから?
 楽器の音が大好きだったのです、特に自分の先生や、そのまた先生の出す音が。「引き継がれてきた音」というものがあるでしょ。また響きのある古い教会で自分の音の反響を聴きながら演奏するのも大好きでした。その教会で初めてレッスンを受けたんですけど。自宅の地下室もなかなか良いエコーチェンバーだったですね。
 ある夏、森の中の火の見櫓(ひのみやぐら)でアルバイトをしたことがあるのですが、夕暮れになると櫓のある山のてっぺんでフルートを吹いたりしていたんです。モーツァルトなんかを吹いていたのですが、そうすると岩塩をなめに来ていた鹿の一群がじっとこっちを眺めているんです。でも自分のフルートの音を聴いているときは全く塩のことなんか忘れているんですね(笑)。何か「甘〜い音を出す変な動物がいる」っていう感じでじっとこっちを見つめているんです。今から考えるとあれより素晴らしいオーディエンスっていなかったですね。彼らは安心しきっていましたし、ある夜は小鹿を連れて聴きに来てくれました。そして、彼らに向かって"即興"をするようになったのです。"甘い"ロングトーンで演奏するようになったのもこの時以来ですか。
 そんなわけで、楽器の音が自分を楽器に向かわせることになったと思います。その意味でいうと、本当はオーディエンス(鹿の一群)がいるかどうかは二の次になりました。今の夢はエコーのある大きな洞窟で笛を吹くことです。"The Cave of Winds" (風の洞穴)という名前のグループを作ることです。

フルートから笛に移行したのは、日本に来たことと関係あるんですか?
 日本へ来たのはコピーライターとしてで、仕事のためです。でもそのとき日本の笛をぜひ聴いたり吹いたりしたいと思っていました。1986年にニューヨークから日本に移ってきたんですが、その直前に黒沢の映画を見て、その時能管の音を聴いたのだと思います。それにその前にはプレゼントとして尺八を貰ったりもしていました。でもフルートしか吹くことのなかった私にはそれを吹くのは大変でした。そんなわけで、自分でも吹けそうだった横笛を吹こうと決めていましたね。
 1987年のことですが、東京で赤尾三千子さんの笛を聴く機会がありました(彼女は海外で多くのコンサートを開き日本の笛を紹介していました)。その折り彼女に自分が日本のどんな笛を吹いたら良いのかアドバイスして貰ったのです。赤尾さんは私に篠笛を吹くことを薦めてくれました。多分、篠笛が西洋のフルートに一番近いと考えたからでしょう。その後は、名手の鯉沼廣行さんの笛を聴いたり、彼の書いた篠笛に関する本を読んで研究していました。そして1988年頃のことですが、美濃さん(Mr. Minoh)という人に出会いました。彼は私が初めて"自作の篠笛"を作るとき、作り方を教えてくれた人です。今私が主に使っているグラス製の笛(私は「つらら」と呼んでいるんですが)は彼から頂いたものです。でも正直言うと、その後十年くらいは余り継続的に笛も吹いていなかったと言えます。
 私は日本の笛の音がすごく好きですし、西洋のフルートと違って決まったキーの音程の中間音が吹ける自由度も大変気に入っています。またガラス製の日本の笛というのはすごくレアだと思います(知る限りでこれと同じものは6つしか作られていないらしいです)。「つらら」の音は銀製のフルートとそれよりソフトな竹製の篠笛の中間にあると思います。ただ「つらら」を、誰がどのようにして作ったのかは分からないのです。今それを何とか突き止めようとしているんですけどね。私が唯一知っているのは、不思議なことですが、この笛と自分がすごくよくマッチしていると言うことです。理想的な"縁組み"だったと感じています。

10年間のブランクの後、ライヴ演奏を本格的にやるようになったキッカケは?
今年の8月以前にも、何度か、いろんな人のライヴにゲスト参加してましたよね。
 「きっかけ」と言うといくつかあるのですが、"山頂での即興"の後で最初に聴いた即興音楽はニューヨークのストリートでのジャズでした。トランペットとサックスのデュオで、マイルズ・デイヴィスの"Two Faced" (名作『Water Babies』に入っている曲)を摩天楼の"峡谷"で演奏していて、その時も街のビルが作る「天然のエコー」をバックに演奏しているのに感動しました。またスチュアート・デムスターというフリーインプロのトロンボーン奏者がいるのですが、彼がフランスの大聖堂で即興ソロをやっている『スタンディング・ウェーヴ』というレコードを聴いて、いよいよ即興に興味がわきました。ここ数年間は、沢山のフリーミュージックを中溝さんやグッドマンでの多くの演奏を通して聴いているうちに、ついに一緒に演奏しないかと誘われたんです。グッドマンで演奏する人はそれぞれの楽器で固有の音や独特の音響を自身のスタイルを通して追求しているわけですが、そうした人たちを聴きに来るたびにいつも自分が長いこと探していた場所 -自分の家- に帰ってくる気がするようになったのです。

それで、EMYUさんがグッドマンに来たとき、「TADAIMA!」帰るときは「ITTEKIMAS」と言うんですね。
では最後に前回インタビューした永山さんからの質問で「他のジャズ系ライヴハウスには、行きますか?……グッドマンの在り方について、思うことがあれば、お願いします。
 行きますよ。でもグッドマンはその中でも絶対的にユニークな存在です。特にそのアマチュアリズムの点がそうです。それは音楽やその他のアートが本来持っているべき「冒険性」のことで良い意味でなんですけど。競争のある状況(competitive atmosphere)というのは、アーティスト達を「分け隔て」してしまいますが、そういうのと違いグッドマンはアーティストをつなぎ、ひとつにして、新しい何かを常に創りだしています。商売になるかどうかはこの際関係ないのです。また同時にグッドマンのアーティストの間に見出すのは、ある種の"浪人"スピリットですね。今でもみんなそれぞれ腰に"カタナ"を携えているんです、サックスとかギターとか名前は変わってますけどね。鎌田さんはその精神の中心的な存在だと思います。よく律せられていて(disciplined)それでいて新しいサウンドを見つけようと努力している。グッドマンは世界で唯一無二のものじゃないかと思います。私は自分がグッドマンを知ることができてすごく幸運だと感じていますし、即興で長い経験を積んだ多くのすぐれたアーティスト達の間にいられて謙虚にもなれます。グッドマンでは余りみんなおしゃべりをしないですね。でもみんなよくプレイし、よくアクトし、そして自由に主張しているなあと思います。有名な広告スローガンじゃないですけど、まさに「Just do it.」という感じですね。



 今回は、初めて外国語の人へのインタビューということで、中溝俊哉さんに通訳してもらいました。スペシャルサンクスです。新代田の駅で待ち合わせてEMYUさんちへ行くと、二人してノートパソコンをパカッと開き、私だけ紙のノートにボールペンで質問を……何度も言ってますが、このインタビューは筆談です。……二人はキーボードを、すごいスピードでカチャカチャ。英語もコンピューターも、からきし駄目な私は、ポカンと口をあけてました。
 少しスペースがあまったので、横浜ジャズプロムナードの極私的レポート。デンマーク特集です。マッズヴィンディング(b)トリオ、全員バカテク。しかも全曲スタンダードなので、うますぎて、スリルも何もない。安心しきって、ねちゃいました。キャスパートランバーグ(tp)セクステット、こちらは全曲オリジナル。モダンとフリーが混在する頭脳的プレイで、けっこう楽しめた。Pが南博さんで日本人なのに、きいたのは初めて、ゴメンナサイ。デンマーク放送ジャズオーケストラ、tp5, tb5, sax5, eg, p と keyb, eb と b, ds, perc にハープ、と大編成に、サウンドテープも使って、1時間半ぶっつづけで大迫力。渋谷オーケストラと板橋オーケストラも、ききたかったが、会場がはなれててムリ。それでは、と全然知らない人なので期待しないできいた、ドイツのワルターラング(p)トリオ。ハンサムで、やさしく話す好青年。ソフトリー(朝日の如く)や、スマイル(チャップリンの)などアレンジも良く。感動して、帰宅。東横線の特急に乗ると、横浜って以外に近いね。これからは、時々、行こうかなぁ。

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