グッドマン・インタビュー

その93 (2002年6月)

鎌田雄一


 鈴木ミワ (ピアニカ、ピアノ、うた)

1974年、福島に生まれ、東京で育つ。
麹町学園女子高校、中退。
グッドマンには、'01年1月より、小瀬泉p とのデュオで毎月、出演。

グッドマンでは、ピアニカですが、やっぱり最初はピアノ?
 3才からエレクトーン教室に通わされていて、そこで先生がピアノの方が良いと、すすめてくれたので、ピアノを始めました。5才の時に作曲をしたりして、天才だといわれていました。……が、だんだん練習を、しなくなり、音楽の学校に行く気もなかった、です。
 練習してないのに、週一回、レッスンの日が来るので、結局、先生の前で、ほとんど初見で弾くことになってしまって、その能力が身に、つきました。

ジャズを聴きはじめたのは、いつ頃なの?
 何となく、ジャズって、よいなと思っていた20才の頃、ある友人が、新宿ゴールデン街にあるシラムレンという店に、つれていってくれて、そこはジャズを大音量で流していて、そこに通うようになってから、少し聴くようになった。

小瀬さんとは、どこで知り合ったの?
 私がピアニカを始めようかな、と思った頃、まず、しばてつさんがグッドマンに出演しているのを見に来たことがあって、で……その時は、私が求めているピアニカとは違っていたので、ふーんと思って終ったのですが、それからずいぶんたってから、野村誠という人が、すでにピアニカバンドで活動している、と友人の、たれこみがあり、さっそく「私もやりたいと思っていたので、もう、すでにやっているなんて、くやしい。私も一緒にまぜてもらえませんか?」というようなFAXを送りつけたところ、なんて良い人なのでしょう。お返事をいただき、何度か一緒に、やったのです。その時、メンバーに小瀬さんが、いました。そして、やはり、しばてつさんも野村さんと知り合いでした。……で、野村さん、林かなさん、小瀬さん、私、の全員、鍵盤ハーモニカの編成で、何度かライブをやったのです。えーと「百姓時代」というバンド名で、今はなき、西新宿のビッグママ、という、お店でやってました。
 曲目は、サザエさん、あばれん坊将軍、ボレロ、UFO、などなどで、楽しかったのですが、私は、こういう感じで、ジャズを、やれないか、と考えていて、古瀬さんはジャズも得意、ということがわかって、それで二人で始めることにしました。……でも、やっぱり二人ともサザエさん、とか、そういう路線が好きなので、グッドマンでも、「ジャズ」といいながら、ああ、やっぱり今日もサザエさんか……と、なってしまって……。

エリントンやモンクの曲と一緒にサザエさんや与作をやることで、ジャズへのボートクだ、とか言われたことは、ないですか?私は、そうとも思わないんですが、でも、与作でジャズ風アドリブをするのは、何か中途半端な感じがするんですけど、どうでしょう?
 ボートクと言われるほど、演奏する機会がないので……。
 でも、与作は名曲です。マスターも、今度、歌詞をとばしてコードだけ抜いて、思いっきりアレンジして、やってみて下さい。私は、ローランドカークのドミノと同じ感じが、します。

中途半端というのは、そういう意味じゃなくて、与作の持っている、歌詞や節まわしを含めた曲の良さ、というか、日本人におよぼす共同体幻想を含めたパワーを演奏で生かしきれていないんじゃないか、と感じるんです。ローランドカークのドミノには、それがある。
 小瀬さんとのグッドマンでの演奏と、私ひとりで路上で演奏する時と、少し違うのですが……。与作を、うたってすばらしいと人に思わせるのは、もう北島三郎以外にいないわけで……えーと、私ひとりで演奏する時は、まったく原曲と違うアレンジで、誰も与作と気がつかないように、演奏しているんですが、「今のは与作だよ」と言うとびっくりするのが面白い、というか、北島三郎の与作のイメージをなくしてしまって、改めて、聞いてみると、何だいい曲じゃないか、と思ってもらいたい、というか……。何しろ、そんな、深くは考えてない。

では、ここで、前回インタビューの伊藤さんからの質問で「ストリートで演奏するキッカケは何でしたか?」
 5年位前、路上でやりたいな、と思った時、ピアノではできない。では、どうしよう、と思って、その時なぜか家に買ったばかりのピアニカがあって、それで、とりあえず、それを持って、駅前に行ったんですが、その頃、なんと、私はコードからアドリブ、というのが出来ませんでした。とにかく下手でした。でも楽しかったので……。
 ところで、何でピアニカを買ったか、というと……実は、映画の小道具として買ったのでした。……私がカントクの自主映画(ビデオ)で、結局は未完成で終ったのですが……。私が駅前でピアニカを吹くシーンが少しだけあって、それを見て、主人公の男の子が「俺にも何か出来るんだ!」と気づいて、たて笛を始めて、世界的に有名なプレイヤーになる、とか、そんな話でした。……そのシーンを撮影した時にピアニカデビューしたので、きっかけはもしかしたら、その映画だったかも?

へーェ。でも、そもそも何で映画を作ろうと思ったの?
 '91年のPFF(ぴあフィルムフェスティバル)の一般公募審査員をやったことがありまして、当時17才で、高校からぴあの事務所が近くて、授業が終わると、ぱーっと、ぴあに行って、2〜3時間、自主映画をみて……といった感じで、200本位、見たのかな?その後も、自主映画ばっかり、見てました。友人も、そういう上映会で会った人ばっかりで。……でも、自分で撮ろうとは、思っていなかったんですが、つい、面白い話を考えついたので、作ろうかな、と思ってしまった、のです。

私も'91年までは、PFFも、よく見ました。それ以降、ぴあ、がグッドマンのスケジュールをのせてくれなくなったのでぴあが嫌いになり、PFFにも行かなくなりました。今まで見た自主映画の中で、あなたのベストワンは?
 小川てつオの「白人、黒人、インド人」です。'91年PFFに、なぜか最終まで残っていました。(一般公募審査員の制度が、とりやめになったのは、多分、こんな映画を「いい」という審査員が多く、はっきりいってダメだ、と、ぴあ、が思ったんだ、と思う。)……何がいいか、というと……どこがいいのか答えられないほどアホな感じのところです。……でもインド人役の小川恭平(小川てつオの兄)は京大生で、天才です。天才と何とかは、紙一重ということですね。
 ちなみに最近知ったのですが、先の野村誠と彼らは知り合いでした。

ところで、路上ソロ、グッドマンでのデュオの他に、やってるバンドが、あるんですよね。宣伝を兼ねて、活動状況を……。
 ALL WEATHERというバンドを、やってます。
 ここでは、私は、ピアノとボーカルです。オリジナルから、ジャズ、ラテンの曲を演奏してます。ベースは、路上デビューまもない頃、声をかけてきた(ナンパ?)人で、ドラムは現在三代目で、サックスはベースの人とメンバー内結婚、という、はらんばんじょうのバンドです。中目黒らくや(7/6)高円寺ペンギンハウス(7/26)などでライヴの予定です。路上ライヴは、西荻の駅前9じ〜12じ、が多いです。

今後、自分自身の活動の展望とかは、あるんですか?
 売れて有名に……とか、思っていないので、何しろ納得のいく演奏と、自分が楽しく演奏できること、場、とか、人間関係とか、が良ければよい、と思ってます。CDとか出す予定もありますが、特に「プロ」って何のこと?と思っているので。気持ちがプロでいられれば良い。たまに半分冗談ですが、吉本に入ろう!とか、バンドのメンバーとは話したりしてます。あと年とってからでよいのでNHKの仕事がしたいなぁ。いずれにせよ、自分は本物になりたい。


このインタビューは筆談でやっているのですが、今回、今までの最短時間でやりました。後で、きいたら、小説も作ったことが、あるとのこと、どうりで書くのが速い。

グッドマンインタビュー
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