グッドマン・インタビュー

その97 (2002年10月)

鎌田雄一


アヤコレット (p、うた)

1969年7月21日、愛媛県今治市に生まれ、育つ。
国立音楽大学、音楽教育科、リトミック専攻。
グッドマンには、'00年2月より、トリオでスタート、4月から守屋拓之b とデュオで毎月出演。

リトミックって何?
 エミールダルクローズという人が考えだした、音を体で表現するメソッドのひとつ。
 大学に入ってから「動き」に興味が出て、バレエ、バロック舞踏など、動きに関する様々なサークルに顔を出してました。

アヤさんは、芸名をジョルジュバタイユの恋人の名前からコレットとしたそうだし、演奏する曲の歌詞もジャックプレヴェール、パウルツェラン、金子光晴などの詩を使ってますが、子供の頃から文学少女だったの?
 そうです。子供の頃から本を読み漁っていました。ひとりっ子のせいもあり、誰にも干渉されることなく本を読むのが好きでした。……フランス文学に、はまったのは、1年ほど渡仏していたこともあり、自然に親しむ機会が多かったせいでもあります。
 ピアノを始めたのは、3才の頃。親につれられて嫌々、行ってましたが、本気でやろうと思い始めたのは、15才くらいからでしょうか、それまでは、クラシックもジャズも、ほとんど聞いたことが、なかった。

フランス文学って原書で読むの?
ひとくくりには出来ないだろうけど、フランス文学個有の魅力って、どこにあるんですか?
 詩は、訳詩を読んで好きになったものを原書で読み直します。その方が音や韻律がわかって、きれいだし、又、違ったイメージで頭の中に残ります。
 個有の魅力……むつかしいなぁ……あの……国民個有の魅力、というのと同じような感じ……日本も、きっと、そうでしょう、日本人という種類の人間がつくった日本文学という、ひとくくりのものがあるように、フランスにも、それがある。あの国民のエスプリから出て来た部分に、ひかれたことは事実です。何か、割り切れなさ、をあえて断言しない、みたいな……。
 もともと、フランスに行ったキッカケは、ジャンリュックゴダールや、ジャックリヴェットの映画が好きになり、彼らに会いにいこう!と思いたったからです。結局、会えなかったけど……。
 映画熱は、今もさめやらぬ……で、自分が音楽をやるキッカケを、よく映画から、もらいます。タルコフスキーとか、ものすごくいい映画を見たとき、このくらい、すごくいいテンションのものをつくりたい!つくらなきゃあ、と分野は違えど刺激されます。
 既成の詩を、歌詞に使うのは、既に詩人によって削られとぎすまされた言葉があるのだから、特に言いたいことも、ないのに、わざわざ自分の言葉で言う必然性を感じないから、というところから、はじまり、(作者とはコンタクトをとります。その行為がまた楽しい。)最初のうちは、「他人の言葉」だったんだけど、そのうち、自分の頭の中がどんどん浸食されていくのがわかります。……良くも悪くも言葉から逃れられない人生だなぁと思います。……だから、選ぶ言葉には、すごく慎重になります。少し、いいな、と思った詩や言葉の断片は、とりあえず、手元に書きとめて、何年か何か月か寝かせておきます。それらの言葉のことは、なぜか忘れることは、ありません。

先ほど、音楽を本気でやろうと思ったのは、15才頃という話でしたが、キッカケは、あったんですか?
 ピアノという楽器を演奏することへの興味が湧いてきたのが、きっかけといえばきっかけだけど、何でもよかったのかもしれない。何か、ひとつのことをじっくりやってみたかった。どこまで自分が行けるのか……行きつく終わりは、ないようなもの……が、やってみたかった。いろいろやるんじゃなくて、これだけ!みたいな……うちこみたかったんですね……これも文学の影響でしょうか……。音楽を志すことを親が反対していたので、それが、カンフル薬になり、ますます、よけいに音楽への情熱が湧いてきたのかもしれません。あと、考えてみれば、聞くこと、聴くこと、が得意だったことも、あるかな……。一度、きいたメロディーは忘れない子だった。見る→覚える、の行為は苦手だったけど、聴く→覚える、の行為は楽にできた。そういう得意な分野に行きついたのも、当然といえば当然かも……。
 あと、15才の頃、いいピアノの先生に出会ったことも大きいかな。厳しい厳しい……厳しい先生でした。毎週、くやし涙を流さない日は、ないくらい。……1時間半もかけて行って、最初に一曲、弾いただけで、「今日は、もう、お帰りなさい」と、ピアノのふたを、しめられたことも、あります。くやしいので、「もう一回、ひかせて下さい!」と頼んで、ひかせてもらったり、しました。今、考えると、先生は、ピアノに向かう時の心構えをたたきこもうと、してくれていたんだ、と実感します。テクニック、技術は、その次、ピアノに向かって音を出す時、どういう状態でいるのが、一番出したい音が出せるのか、よく考えること。又、気持ちや精神が、よくない状態の時には、どういう風に自分をコントロールすべきなのか……もう、ピアノレッスンというよりは人間修業の道場のような感じ……泣きながら、それでも3年間、1日も休まず、レッスンにかよいました。今でも、辛く苦しい時には、先生のことを、よく思い出します。

音楽の仲間は、どうやって見つけましたか?
 かつてのボーイフレンドの友人、アメフォンさん(現在、プロデュースをやってくれてます。)と知り合い、彼の音楽作品に参加して、ベースの守屋さん、ギターの山田さんと知り合いました。
 最初は、ドラムを入れた編成でバンドを組んでなぜか、ヴォーカルのみ、やろうと思ったのですが、結局、自分自身を、思うように出せず、ピアノを弾きながら歌うのが一番しっくりくることに気がつきました。ピアノを弾く、ということが、自分にとって大きな存在だということを、よく知っていたはずなのに、何故、一時的にでも、ピアノを弾かないでいこう、と決めたのか??よくわかりませんが、今は、ピアノを弾いているから歌がうたえる……くらいピアノが大きい存在です。ピアノ(7)歌(3)くらいの割合い。歌うというより、言葉を話してる感じに近いので、そのスタイルが、自分にぴったりだという所に行きついて、今は迷いは全く、ありません。
 あと、グッドマンでライヴを始めてから、サックスの福島幹夫さんと知り合いになり、私のバンドに入っていただくようになりました。今、グッドマンではデュオにゲスト。他の店(アップリンクファクトリー、青い部屋、ペンギンハウス、他)では、以上の4名でやることが多いですね。今後はドラムかパーカッションも入れたいです。以前、入っていた時は、私がドラムに合わせようとするあまり、音楽じたいを、きゅうくつに感じてしまい、ドラムと一緒にやるのをやめてしまったことがありました。その経験があるので、今後、どなたかパーカッションの方と一緒にやることがあったとしても、自分から必死で合わせる、ということは、しないかな……と思います。それでも、いい音楽って、つくれるって思うんです。大事なことは、自分がやりたいことを、ちゃんと出せているかどうか。私の中では「拍」は、ちゃんと、ととのってなくてもいいんです。ウフフフフ。

音楽のイメージと言葉のイメージの関係は、どのように捉えていますか?
 まず、言葉ありき、で、言葉の持つ、意味、イメージ、広がり、強さ、などを自分の中で、くり返し、くり返し、して、言葉の持つイメージを自分の中に定着させます。それからピアノに向かうと、自然に、だいたいメロディーは、出て来ます。ひととおり音楽らしさの枠組みが出来上がったら、そこから、言葉と音をくり返し同時に行い、体がオートマティックに覚えるまで、オウムのように何度も、うたい、弾きます。そうすると、又、別のイメージが出て来て、ようやく曲が広がりを持ち初め、他人と合わせることが出来るようになります。なので、私のやろうとしていることに対して理解を示してくれるミュージシャンと共にでなければ、曲は、それ以上、育たないです。あとは、あたりまえですが、音楽するんだ、という心意気でしょうか。私が、こうやりたい!というのが、はっきり出せてれば、共演者もやりやすいのでは、ないかと思っています。そうかといって、決まりきったパターンをいつも弾いていただくのは、 とても嫌なので、共にやるミュージシャンは常に、へんな緊張を強いられることになりますが、それが、私は見ていて、刺激になり、面白い。私自身も、何回、同じ歌をうたっていても違う演奏になるように、心がけています。

では、ラストに前回の長沼さんから質問で「ピアノを演奏していて、自分の出したい音がピアノでは出せないと思ったことは、ありますか?……そう思った時は、どうしますか?
 ピアノでは出せない、と思ったことは、ありません。
 もっともっと深くて大きい音が出したい、と思うことはあります。力まかせに弾いて、弦を切るのは、好きでは、ありません。芯のある、やわらかい音が出せたらいいですね。……音自体には、その人らしさが出ると思うのでこれから自分の出す音が、どんな風に変化していくのか自分が一番、楽しみにしています。


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