グッドマン・インタビュー

その (2002年12月)

鎌田雄一


田宮ガク (perc, ds)

1958年10月1日、秋田県秋田市に生まれ、育つ。
多摩美術大学、油絵科、中退。
グッドマンには2000年の10月より福島幹夫ss,asとのデュオに参加、現在は山本圭一ebが入ったトリオで1ヶ月おきに出演。'02年6月からは鎌田雄一as,tsプレイズマイルスカルテットにも参加、毎月出演しています。

絵から音楽に移るキッカケは?
 多摩美入学前に、阿佐ヶ谷美術学園に2年通ってて、その時ドラムを始めました。今思えば、その時同級だった下山淳(exルースターズのg)の影響が大きかった。とにかく、日常感覚が全てロックしてたんです。

いつ頃まで、どんなロックバンドをやってたの?
 初めは、ブルース色の強いハードロックが好きでしたが、ジャンルやスタイルへの拘りは無く、32〜3才の頃まで、JAZZ以外のバンドを手当たりしだいやってた感じ。営業バンドも経験しましたし。……JAZZに手を出さなかったのは、たまたま周りにJAZZ系ミュージシャンがいなかったから。自分から動くのが苦手な方ですし……。

ということは、33才からは?
 音楽以外の興味を持ってた対象を含めて、総合的に自己を模索し始めた……という事でしょうか。例えば、僕は泉鏡花フリークなんですが、そういう自分が出すべき音は、どんな音なんだろうか、とか、自分の演奏に対する必然性や責任というのを考えるようになりました。

具体的に演奏活動には、どう影響がありましたか?
 当時やってたバンド活動とは別に、自分独りで何が出来るか、という事で、自宅録音を始めました。とりあえずキーボードを買って、MIDIの勉強をしたり、エフェクターの研究をしたり、バンドの為に出す音と、自分の為に出す音とを区別して考えていました。今でも、歌もののバンドでドラムを叩くときは、自分の音とは区別しているように思います。

自宅録音の研究から、ペンギンハウスのミキサーへと、つながってるんですか?
 全然つながってないです。僕がペンギンハウスのスタッフになった頃は、ライヴは、ほとんどやってなくてパブだったんです。少し経ってからライヴハウス化計画が持ち上がり、今に至っているんですが、ペンギンでのミキサー経験は、かなり勉強になります。昨日のライヴでもアコースティックギターと声との間で、今まで経験した事の無いセッティングをしましたし。

福島さんとは、ペンギンで知り合ったの?
 そうです。彼は出演者として出入りしてたんですが、当時、10バンド位かけもちしていたらしく、常にペンギンにいて、こいつは何者だろう、と思いました。
 僕は、その頃、即興演奏に興味があったのですが、演奏する機会(相手)が、あまり無い、という様な事を彼と酒を飲みながら熱く語ったらしいんです。そしたら、今度一緒にやろう、という事になって、グッドマンでの彼のソロライヴに、ゲスト出演したのが最初です。

興味があった時点と、実際にやるようになってからで、即興演奏に対して、何か変わりましたか?
 まず、3人以上で演奏する難しさは、想像以上でした。あと、何かが成立している面白さとは別に何かが成立していない面白さを発見しました。
 周りの音を聴いている自分と、音を出している自分とが一体化するべきなんでしょうけど、それが近ずいたり、離れたりする感覚も好きです。

舞踏の守田幻蝶さんとも、よくやるようですが、どういうキッカケで。又、舞踏とやる場合、こころがけていることは、何ですか?
 福島君の紹介です。……舞踏とのコラボレーションでは、まず、予定調和しない事、舞踏の説明(踊りに対して音が説明)をしない事を考えています。……イントロ、エンディングでは、どうしてもドラマ的、演出的アプローチになりやすいので、その辺が課題かもしれません。……さっき言った様な、何かが成立しているか、いないかのぎりぎりの線で何かが生まれればいいな、と思ってます。

最近は、私のプレイズマイルスバンドにも参加してもらってますが、自分の為に出す音との違和感は、ありますか?
 少くとも歌もののバンドでドラムをプレイしている様な感覚は、ありません。自分の為に出す音の一部分だと思ってます。それが何パーセントかは、わかりませんが。……鎌田さんからは、好きにプレイしていいよ、と言われているのですが、自分の中での正解が、まだ見えません。……こんな物を使って、こんな演奏でいいのかな、と思いつつ、自分を出してる感じです。……こんな物、とは何か、興味がある方は、是非ともプレイズマイルスを聴きにいらして下さい。

それでは、最後に、前回インタビューした守屋さんからの質問で「夢は、なんですか?」
 僕は、中学一年まで、秋田機関区の横で育ちました。父が国鉄職員だったせいもあって、そこは憧れの場所であり、安易に足を踏み入れてはならないサンクチュアリでした。当時は、のんびりしていて、子供が一人で機関区に入って行ってもしかく機関区員は、いなかったです。カメラを持って行くと、入換中の蒸気機関車が停まってくれたり、気笛を鳴らしてくれたりしました。……僕の夢は、居間の出窓に、昭和30年代の秋田機関区を鉄道模型で再現する事です。……小さい夢で、すみません。
 泉鏡花の全作品読破も夢ですね。すごく多作な人なので、生きてる間に読めるかどうか、好きな作品は時間をかけて何回も読んでしまうので……。ひとこと言わせてもらえれば、日本人のミュージシャンだったら……特にグッドマンの出演者の方には、是非、「歌行燈」だけは、読んで欲しいと思います。


 ガクさんちには自転車で行ってきました。高円寺から環七を北に走って、野方を過ぎて少し行った所。機材完備のスタジオも見せてもらいました。歌行燈といえば、又、映画の話で申し訳ないスが、成瀬巳喜男のを見てから読むのもいいかもネ。他にも、溝口健二の滝の白糸もあるし、私は、市川崑の日本橋が好きなんです。角川映画の崑作品は嫌いだけど、大映時代のは良いヨ。変わったところでは、武智鉄二の高野聖もあります。篠田正浩の夜叉ヶ池は未見。
 原作は、読み方もわからない美しい言葉が一杯でてくるけど、読みなれてくると、リズミックでメロディック。音楽と同じ楽しさがあるんだよね。

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