グッドマン・インタビュー

その (1999年11月)

鎌田雄一


桜井明弘 (うた、g)

1956年7月18日、新潟県小千谷市に生まれ、高校まで過ごす。
和光大学人文学部、文学科、卒。
グッドマンには、'91年9月から毎月、出演。
その当時は、ひきがたりの人が50人近く出演していて、月の半分がひきがたり、半分がインストの即興でした。今は、ひきがたりを縮少して、募集を打ち切っているので、貴重な存在です。

K. ひきがたりを始めたのは、いつ頃から?
S. 高校2年の時だったと思います。それまでは、ギターは上手い人に手伝ってもらって、うたっていました。無理して、その人の好きな歌をうたったりしたこともあったのですが、そのうちひとりでもやれると思いはじめて……。

K. 前回インタビューの山下さんと、知り合いになった時、二人とも、ジャックスが好きだった、とききましたが……。
S. そうですね。山下さんは高校の時、ジャックスの曲を演奏していたそうですし、ぼくは、早川義夫にあこがれて、それで、大学を決めた程でしたから。

K. どこが、そんなに気に入ったの?
S. ジャックスをテレビで見たのはブループサウンズブームの末期ですが、やたら髪が長かった。他の人よりメチャクチャ長かった。そんなことで知ったのですが。……やはり、自作の曲(サルビアの花)が売れたら、音楽を、あっさりやめてしまうという……気に入ったというより興味を持ったんでしょうね。ソロアルバムの「かっこいいことは、なんてかっこ悪いんだろう」というほとんどピアノ弾き語りだけのアルバムを聞き、言葉と感性の良い意味での、わがままなところが好きになりました。でも、まわりに、そんな話を出来る友達もいなかったので、後に、中村とうよう氏が、このアルバムをベストワンに選んだ、と知ったときは、ちょっとだけ嬉しかったです。

K. バンドとか組んだことは、あるんですか?
S. さっき言ったギターの人に手伝ってもらいたくて、お返しに彼のバンドで歌ったりしましたが。面白かったのは、ノージャンルで歌謡曲からハードロック、フォークまでなんでもやる10人程のバンドをやったことです。このときは、ファンがいっぱい、できました。

K. いまでも桜井さんのライヴには、その精神が続いてますね。小林旭から、ロックっぽい曲、ドフォークまでレパートリーですから。
 山下さんが以前、学校の授業で、(ふたりとも先生なのです)ジャズの歴史を教えながらレコードをかけて、生徒に感想文を書かせて、それを、今、自分のホームページに載せたりしていますが、桜井さんも、学校で早川義夫の詞を教材に使ったり、するんですか?
S. 早川義夫のみならず、フォーク、ロック系の人の詞も、ごく普通に教材にします。ここ数年は、生徒が実際に聴いているものとの差が大きくなったなぁと感じますが、逆にそれが、面白いと思うんです。彼らには卒業するまでに、「日本語のリズムとロックの関係」の授業も必ず一度は、受けさせますしね。

K. 生徒から学ぶことも、あったりしますか?
S. 若い彼らが聴いているものの中に、ときどき、こんな面白い詩を書いてたんだ、というような発見もあります。いろいろな曲を聴く、きっかけは多くなりました。最近ではDragon Ash。ラップときくと、いまひとつ聴く気がしなかったもんですから、反省しました。

K. 私も日本語の歌詞の曲は、どうも苦手で、聴かず嫌いなのは良くないな、と思います。日本映画と同じで、ひどいものの中に、ときどき、メチャクチャ心にグッとくるものが、あるんですよね。
 そういえば、桜井さんは、ピンク映画にも歌手として出演し、歌も提供していますよね。どういう、いきさつで?
S. 大学の後輩に五代暁子という脚本家がいて、彼女がピンク映画の脚本も書いているんです。よくライヴにも来てくれて、池島ゆたか監督が、あまり音楽を使うことのない人なんですが、フォークっぽい曲を映画に使いたい、というので紹介してくれたのがきっかけです。……ぼくの曲を聴くために映画館に行く人は皆無でも、多くの人に聴いてもらえるのは嬉しいですね。出演するのは、やめにしたいけど、音楽は、またチャンスをもらえたらやりたいですね。今度はフランス映画に流れるようなインストの曲を作りたいです。山下さんのギターをフューチャーして。フィルムノアールのような感じが、いいナァ。

K. 桜井さんも顔が広いですよね。結婚披露のパーティーにはどんな人に来てもらったの?
S. 五代さんに、なぎら建壱さん、彼のバンドのミュージシャン、マスコミの人が数人。渋さ知らズの泉邦宏さんと京都のカズ中原さんに飛び入りで演奏してもらったのは、嬉しかったです。仕事関係の人も多かったし、楽しかったです。

K. 先日、なぎらさんのファンクラブの会合で、2-3曲うたったそうですが、どうでした?
S. 本人がいる前で本人の曲をやるのは、つらいですね。ファンクラブの中に、なぎらさんのバックバンドのギタリストからギターを習っている人が何人かいて、見る見るうちに上手くなっています。……そのあとに、ぼくですから……。ギターは自分の詞にメロディーを付けて歌うために始めたので、テクニックの必要も感じず、あまり基本が出来てないんです。でも高校時代は、もっと上手かった。カーターファミリー、スリーフィンガー、ツーフィンガー、一応ちゃんと、やりました。グッドマンに出るようになった時、いつかは昔のようにテクが戻るのでは、と期待したのですが……。今度は、やる勇気がなくなった。
 なぎらさんに、ほめられるのは、声とステージング。マスターにも最初ほめられたのは、しゃべりが上手い、ということでした。そんな風だから、映画で歌った曲を、マスターに「良かったよ」と言われた時は、嬉しかったです。

K. 桜井さんは、誰かを好きになると、のめりこむほうなの?グッドマンでの渋谷毅さんのライヴは、ほとんど欠かさず、聴きに来てくれてますよね。
 以前、ひきがたりの岩原學さんがベースの井野信義さんとグッドマンで共演したし、高田渡さんと渋谷さんの共演も何度か、やってるから、今度は、いつか、桜井さんと渋谷さんの共演も、聴いてみたいですね。
S. のめり込むというか、ミーハーなだけでしょう。ファンになると、一言、交わしたくなるんです。これまでにも、なぎらさんの他に、大瀧詠一、友部正人、豊田勇造、らと「交流」があります。
 渋谷さんは、ほんとにすごい人ですよね。もともとジャズに関しては、ほとんど知らず、ただジャズの人は、すごいんだという思いは強く持っていました。渋谷さんとベースの川端民生さんのデュオをグッドマンで聴いた時は、震えるなんて言葉じゃ片づかないくらいのショックを受け、渋谷さんのジャンルを問わず、誰とでも演奏出来る、引き出しの多さに驚いています。
 最初に渋谷さんの名前を知ったのは、アリスのサードアルバムだったので、察して下さい。共演なんて、恐れ多いです。たぶん、弾けない、うたえない状態になってしまうでしょう。今、密かに「生きがい」をカヴァーしていますが、「初恋の丘」という名曲もあるので、これも、歌いたいですね。渋谷さんの演奏を多くの人に聴いてもらうライヴの企画はしてみたいと思います。今度、お願いしてみるつもりです。

K. では最後に、山下さんからの質問で「結婚して、歌が変わりましたか?又は変わりそうですか?」
S. 結婚したといっても、ご承知のように半年もの間、引っ越しが出来ず、別居状態でしたから……。これからも、歌のセリフじゃないけど「変わってゆくなんてきっとないよ」でしょうね。多くのミュージシャンも、そうだと思いますが、詞の中身って、結構、実際の年令よりかなり若いし……。
 生活面の変化は、あるから、何か影響があると思うけど、あっても本人の気づかぬ程度でしょうね。


次回は、能管と篠笛の大杉登紀子さんの予定です。10月に噌の字をまちがえました。ゴメンネ。

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