グッドマン・インタビュー

その68 (2000年5月)

鎌田雄一


 中溝俊哉 (ピアノ、オーボエ)

1964年4月10日、大阪に生まれ、4才から東京、町田市に育つ。
マンハッタン音楽院、器楽科オーボエ修士号。
グッドマンには'99年7月より、斉藤剛tp 池上秀夫b のトリオで出演開始、現在は、笠田誠子 ソプラノ、を加え、時々上部亜希彦cl の入ったThe Committee Of 39というバンドと小川圭一as セクステットのメンバーとして、交互に毎月、出演。

今回は、いきなり、前回インタビューした渡辺さんからの質問で(1)君は変態ですか?うふふふ(2)君の音楽のルーツは?

1) いきなり!って感じで腰が砕けましたが、ここは難しく考えず、胸を張って、「はい、変態です」と応えておきます。まあ、「どういう意味で?」って質問し返すことは出来ると思いますけどね、うふふふ。

2) 自分の音楽のルーツが、何であるかは断定できません。何を今まで聴いてきたか、演ってきたかということは話せると思いますけど。何か歯切れが悪くて済みません。自分が本当に音楽を演っててよかったと思ったのは、ピアノのレッスンで先生が湯山昭とかバルトークの小品を持ってきたときだと思います。血沸き肉踊るというか、こんな格好いい曲があるんだ、と目から鱗が落ちました。一日に何度も弾いてました。たぶん、12、3歳の頃だったと思います。聴く方の話をすれば、日本の大学で、オーケストラをやっていましたので、そのころ先輩から洗礼を受けていろいろな大編成の曲を聴くようになりました。ブラームス、マーラーとか。近現代を録音で聴くようになったのは、だいぶ後になってからです。

今回は、2本立てて、いこうかな。
(1) どういう意味での変態なのでしょう?
(2) そうすると、ルーツは、やっぱりクラシックということですよね。ピアノからオーボエへ(まぁ今グッドマンではピアノが主ですが)移行したキッカケは?

1) 日本では岸田秀氏とか伊丹十三氏辺りも言っていたようですが、「人間は本能が壊れた動物だ」という意味で、私もその例外たり得ないという、という応えもあります。かなり手の込んだことをしなければ、興奮することが出来ない、という自覚から言っても恐らく「変態」なんだと認めたわけです。

2) 世間で広く認められた意味で「クラシック」という言い方も可能かもしれませんが、最初に関心を持った音楽が20世紀中に創られている点を鑑みれば、狭義の意味での「古典」には属さないと思います。また、繰り返し演奏され、現在も常に新しい魂が注ぎ込まれ続けている、という点では、「クラシック」というものが存在するのか、と云うことも疑わしいと思います。

(1) 実は昨日、岸田秀の「嫉妬の時代」を読み終ったばかりなんですよ。その本の中で、彼は、自我を構成するものを、幻想我と現実我に分けて、全能感と無力感との関わりとして、面白く説明していました。そのあたりは、中溝さんは、整理ついてます?
(2) そもそもピアノは自分から、やりたいって親に言ったの?

1) 岸田秀氏の名前を出すべきじゃなかったのかもしれませんね。というのは、この問題を議論することは出来ると思うのですが、彼が自分自身の理論を説明する上で使っている言葉で私が旨く説明できるとは思えないからです。ただ、彼が主張しているところの、「人間すべからく自己の創り上げた幻想の中で生きている」という部分は、理解できるように思います。ただ、それを「集団幻想」と呼ぶであろうところの「伝統」などに価値を見出したりするのだと思います。

2) ピアノは自分でやりたい、と親には言いませんでしたが、やることになることを4歳くらいの時点で受け容れていました。自由学園という羽仁もと子氏の考えで創設された学校が日本にありますが、それの幼稚園コースみたいなもの(「生活団」と言います)に小学校に上がる前に行っていました。普段は週に1回しか通わないのですが、5歳組になると、全員が別の日にピアノを必修で習うことになります。それで、私の姉も同じところに行っていましたので、自分もそうなるんだと、自然と思っていました。やり始めて、ピアノの進度の速い人とそうでない人がいて、私なんか、どちらかというと遅いほうだったと記憶してますが。この「生活団」で面白かったのは、年に1度か2度みんなで合奏をしたことです。例えば、「森の水車」みたいな曲を。全員にスコアを渡して、それを何度も合わせて、最後は発表会をするわけです。中でもいちばん、ユニークだったのは、みんなで遠足に行ったりすると、必ず絵を描いたりもしましたが、歌詞付きの曲をみんなに作曲させたりするわけです。その中で「特に優秀な」作品は、先生に選ばれて、いつの間にか合奏曲にアレンジされていたりする。それは、確か最後卒団式のとき、みんなで演奏したのを覚えています。残念ながら、私の「曲」は選ばれませんでしたけど。

(1) 一般論になっちゃうと面白くないので、もとに戻って、どんな手の込んだことをすると興奮するの?自分のことも言わないとフェアーじゃないので、私の場合は、小中学校の頃は、崖っぷちみたいな所で何かにぶらさがったり、しがみついたり、人がぶらさがったりしてるのを、まさぐったりするのを想像すると興奮しましたね。死ととなり合わせのエロなのか、その後、バタイユの本なんか、むさぼり読むようになったルーツかもしれません。
(2) こちらは現在に近づけて、オーボエのクラシックを修めた人が、即興的な要素の強い音楽もやりはじめたキッカケは?

1) それを「手の込んだこと」というのは相応しいかどうか分かりませんが、基本的に、私が興奮するのは、パートナーが本当に「自分の状態に溺れている」のを認識することです。「相手は相手で勝手にいってしまう」「俺は俺で勝手にいってしまう」ことが肝要で、私の存在など忘れてしまうほどの自己への没入が必要なのです。つまり、ここには真の意味でのコミュニケーションがない(コミュニケーションなんてあってたまるか)。「最中」における「おーい、どうだい」ではなくて、「事後」の「いまの、どうだった」なわけです。そんなわけで、こうした私の仕方を理解できる人が唯一私を満足させるわけで、相手が満足していることが前提なのです。(え?何の話をしているかって?おんがくの話です)

2) 即興を始めたキッカケは、正直言って自分でも分かりませんが、オーボエを始めるよりかなり昔にさかのぼります。そのころまだオーボエを始めていなかった(オーボエは大学生になってから)ので、私にとっての即興はイコールピアノを弾くことだったのです。先ほど言及したバルトークなどの今世紀の作品をピアノでさらい始めて、まもなく高校生になりましたが、そのころ、レッスンに通えなくなり、他人の作曲された作品をさらう以外に、勝手にピアノで即興するようになりました。そんなわけで何か決定的な出来事があって即興に目覚めた、という劇的な事件はありませんでした。高校が非常に圧搾的な場所だったので、クラブ活動もできませんでしたが、高校3年の最後の秋、文化祭でArkas's Kophinoのいう名前の即興グループを作りました。サックス(リコーダー)、シンセベース、ドラム(ギター)、バイオリン、ピアノという編成で、私はピアノを担当し、図面楽譜みたいなものを造ったりしました。それは文化祭のために急遽結成されたグループで、それっきりでしたが、その後日本の大学に進学したとき、何らかの即興グループを作りたいといつも念じていました。ただ、そのころ別の念願であったオーボエを始め、オーケストラの部活に専念してしまい、それはそれでとんどん面白くなってしまったので、いつの間にか、バンドの結成にならず、30歳を越えて、斉藤剛君や小川圭一さんと出会ってようやくその念願を果たした、という感じですか。ただ、オケの仲間や大学の学部の友人を誘って、セッションは何度かやりました。何度か、オーボエを即興に用いようともしましたが、いずれやるさ、と考えていました。

(1) うまく逃げられたみたいなので、最後に、今までみた映画、読んだ本で、それぞれ一番変態的だと感じたものを揚げて下さい。
自分は、全ての映画にそれを感じるんだけど死んじゃった人では、ブニュエル、ヒッチコックかな。本も、やっぱり、バタイユ、ニーチェでしょう。
(2) バンド名に出てくる39というのは何なんですか?このバンドの今後の展望は?

1) 小説でいうと、コリン・ウィルソンの『迷宮の神』が結構やばかったように記憶しています。変態的と断定しうるか疑問の余地はありますが、『Tous les matins du monde』(邦題『めぐり合う朝』)は、音楽をあつかった映画の中では、これ以外にない、というほどの決定版だと思っています。エロティックで悲しい映画ですが、見ると希望がわいてきます。

2) 39の意味は秘密です。(話し始めると、三日はかかるかもしれません。)でもわかる人は、一瞬で分かります。また「さんじゅうく」とも読めます。二重三重の意味があると思いますが、「さんじゅうく」で説明すると、因習的な言い方になりますが、音楽に関わることは、「旋律とリズムとハーモニー」の「さんじゅうく」に悩まされることになります。一方、「さんじゅうく」を楽しむこともできます。「苦行」を「楽行」にしたいんでしょう、きっと。また、バンドを外でやっていると、「金がない、場所がない、客がいない」の「さんじゅうく」に発展するかもしれません。今後もいろいろな乗り越えるに値する「さんじゅうく」に挑戦したいと思います。また、「詩」を音楽の中で扱うことは、長いことはっきり言って邪道だとさえ思っていましたが、一緒にやるのに困難と歓びを同時に感じます。そしてどこかに中立点を見出したいと考えています。

グループの展望ですか?構造化と即興。言葉と音。音を聞くことと出すこと。このグループはいろいろな矛盾を抱えていると思いますが、私にとってはこの困難自体は楽しめる類のものだと思っています。皆がそれをともに追究できる限り、グループとして存続できると思います。


いつもなら、ここで、中溝さんちは京王井の頭線の浜田山で降りて……なんて、ノンキなことを書くんですが、今、自分は重大な自我崩壊の危機に直面しているので、それを書かずには、いられないのです。10年前に女房を死なせて以来の無力感に、さいなまれ、頭の中はドウドウメグリ、と書いているそばから鉛筆の芯がポキリと折れる始末。なんとかこんな状態から抜け出さないと、ひとを傷つけたり、自殺衝動にかられたり、しかねない。
 人間は、どうしても、誰かに愛され、暖かく迎え入れてもらうことによってしか自我をささえ、行動指針を見出すことが出来ない。相思相愛の恋愛も、その幻想(夢)が、さめる時が必ず来る。だからといって、バタイユ、ニーチェの洗礼を受けた自分は、いかに永遠とのつながりを求めようとも、神や宗教など、まっぴらだ。末期(マツゴ)の指針は、どこにある。自分は、コルトレーンにもマイルスにもなれない。せめて、永井荷風のスケベ心と反骨精神だけでも見習って生きるか。

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