グッドマン・インタビュー

その70 (2000年7月)

インタビュアー 石内矢巳 (詩朗読, p)

1955年10月3日、東京生まれ、徳島育ち。
大阪芸術大学、文芸学部、中退。
グッドマンには、'91年1月より出演開始、'93年2月よりブランクがあり、'94年10月、再スタート。雨宮拓(p)、モリシゲヤスムネ(cello)ら、とデュオを組み、現在は、ソロで出演中。


鎌田雄一  (ss, as, ts)

1948年2月14日、名古屋に生まれ、育つ。
市立工芸高校、土木科、卒。
グッドマンは、'73年に開店。'77か'78年頃から、野島健太郎(p)、のなか悟空みつまさ(ds)とLimbo Trioを結成、自分も出演するようになる。以後、細田茂美(g)に、もう一人常に加えて、キュノポリス(犬狼都市)も、平行して活動。Limboは、吉田哲治(tp)久保島直樹(p)沢田奈津美(p)などに参加してもらい、フリーダードジャズカルテット、ダードカルテットなどと名前を変えて、現在は西尾賢p 海道雄高b 菅田典幸ds のカルテットで出演中。

音楽において人生においてこれから追い求めていくものはなんですか?
 音楽においては、ふたつあって、ひとつは、マイルスデイビスがレコードに残した曲を1954年の「Walkin'」から始めて、全曲演奏すること。(現在1963年まで進行中) もうひとつは、自分が死ぬまで、即興演奏というものを続けること、かな?
 人生においては、何も追い求めない。“今”という時間の体験を大切にします。……逃げ求めることは、あるかもしれない。

鎌田さんにとってマイルスデイビスのきわだった魅力はどこにあるのですか?そして即興演奏を続けることで、到達できるどこかをぼんやりとでも目指しているのでしょうか?また即興演奏で得られる喜びとはどんなものですか?逃げ求めるというのは、何か切実で甘味な官能があるように思います。ある種の少年が握りしめた宝物のような…。
 若い頃、マイルスのことは好きじゃなかった……というか、過大評価されすぎているように思っていた。だけど、自分がとしをとって、音楽の世界が、いかに経済に左右されているかが解って来て、マイルスという人間に興味が強くわいて、それを、彼が選んだ曲をキーワードにして、体感してみたいのです。
 即興演奏では、何も目指しません。即興演奏の内部には直線的な時間というものは存在しないのです。
 いつでも、どんなところでも即興演奏は、できる、というのが喜び、ですね。

すると、直線的な時間に対する抵抗として、即興演奏が浮かび上がるのでしょうか?時間がただなすがままにふくらみ収縮する、音楽を奏でている間だけ、自分の中のもっとも純粋な自分が生きているようなそんな存在のあり方ですか?
 抵抗は、しませんね。何時に始めて、何時何分に終る、というのは、他の人より、むしろ得意なくらいです。ただ、演奏の中身においては、はじまりも終りもないのが理想です。自分というものもない、のが理想です。
 もう少し説明すると、即興演奏で一番意識するのは、今、皆でやっていることが、どれだけ、練習をしてうまくいくということから離れて、いられるか、なのです。即興演奏で、一番まずいのは、練習してからやった方が良い演奏が出来るようなことを、即興でやること。「練習をする」ということは、目標を定めること。即興演奏の最大の目的は、いかに「練習をしない」ことからプラスを引き出せるか、なんです。

ぼくは普段、音楽をかけることがあっても余り音楽は聴かないのです。それは夢の中や詩が生まれる境地に立ったとき、音楽のような音の広がりが体験できるからです。生身の音楽を聴くのは、実は友人のライブを除いてグッドマンだけで、鎌田さんの差し出すレコードやお奨めの演奏家しか聴いてないのです。そういう意味で音楽の本質がわかる人だと、ぼくは鎌田さんに敬意を抱いています。以前に鎌田さんから「演奏においてもっとも大切にしているものは音色だ」聞いて、それから何か演奏を聴いている時に、世界が色づきはじめた感じがありました。鎌田さんの音楽についての考えや感想をもっと聞かせてください。
 音楽というものは、純粋には絶対、存在しえないものだと思います。地形、風景、人々の共生感覚、時代性、そういうものと音楽が、いっしょくたになって、それぞれの人々が聴くわけで、同じものを聴いても、これほど、ひとによって、印象が違うものも、ないはずだと思います。だから、逆に、ひとつの音楽に全員が同じ反応を示すことほど、恐いことは、ないですね。ノッテルカーイエーなんて言われるとゾッとします。キヨシローのイエーって言えイエーなんてのは、バカバカしくて、楽しいですけど。井上陽水のコンサートでもホラ貝、吹いたりして最高だった。

鎌田さんの少年時代は、どんな音楽を聴いていましたか?それからついでに少年時代にはどんな風に、暮らしていたかも教えてください。また、どんな子供だったのでしょう?
 幼少の頃は、まったく音楽とは無縁でした。家庭環境も。親せきにも音楽関係者は皆無。(後の世代には、ひとりオイッコがチェロをやっている。) なぜ、自分が、これほど音楽的人生を送るようになったのか、理解に苦しみます。中学生の頃は模型飛行機に熱中していました。Uコンとか知ってます?
 音楽の授業も大嫌いで、教養としての音楽には虫ズが走りました。なぜか、ラヴェルの「ボレロ」にだけは感動したけど。その頃から、小林旭のうたう「ダンチョネ節」とか「ズンドコ節」とかが好きになり、アレンジがラテンぽいところから、マンボのペレスプラードが好きになり、「VOODOO組曲」を聴いて、ジャズに熱中するようになりました。
 子供の頃は、泣き虫で、弱虫で、引っ込み思案で、そんな自分が嫌で嫌で、ジャズを聴くことによって、それを意識的に変えてきました。とにかく勇気づけられ、元気づけられたのです。1964年にジャズを聴きはじめ、とにかく、その頃のジャズは、今、思い返しても、すごかった。このまま、世の中が変わっていったら、どんな素晴らしい世界になるんだろうと思っていたけど、70年代に入ったら、アレヨアレヨという間に、その幻想は消えていきましたね。

ぼくは今もなお本来は泣き虫で弱虫で引っ込み思案です。それはそんなにすごいジャズを聴かなかったからかもしれませんね。ぼくの場合は自分を変えるということはほとんどしてこなかったように思うのです。どちらかというと欠落を大切にしてきたように思います。勇気というのは弱虫の特権だと信じて、「ぼくは勇気を持っている」と吹聴して回っています。泣き虫であることにも今も変わらなく、映画を観に行って主人公が危ないところで助かったりすると、館内で主人公の名前を叫んで、大声でわんわん泣いてしまいます。
 10年程前、鎌田さんが「俺は今、第二思春期なんだ」と言っているのを聞いて、何故か不安とか希望が湧いてきたのですが、第三思春期というのもあるのでしょうか?
 アハハハハハ。
 思春期については、話したくないな。
 とにかく、オレにとって思春期は、第三だろうが第四だろうが、最悪なのよ。

そういう最悪さをさらして生きている50代の大人がいるってことは奇蹟みたいなものですね。夏子ちゃんはどのようにお父さんのことを受けとめているのですか?それから、率直な質問ですが現在、恋人はいますか?いるのならどんな関係なのか、いなければどんな恋人を求めているのか教えてください。
 石内さん、ずるいじゃないの、自分にインタビューする時はプライベートなことは質問しないように、とクギをさしておいて、ひとには、するんだから。そういう時は、自分の恋人のことを先に話してから質問するべきだよ。
 とにかく、何故、思春期が、最悪かというと、思春期というのは、自分が、どういう人間になるか解らない時期じゃないですか。オレにとって、人生最大の恐怖は自分が生まれてこのかた自分は、戦争というものがメチャクチャ恐い。戦争そのものが恐いというより、戦争のような極限状態になった時、自分が、どんな行動をとるかわからないのが恐いんだ。軍隊のような組織に組み込まれた時……。ひとを殺さなければ、ならなくなった時……。食べるものがなくなった時、うばい合いをするのか……。ひなん列車に乗るのに、ひとを押しのけるのか……。
 そういう事態になるまでは、子供に対しては父親であり、恋人に対しては恋人。グッドマンで演奏する人に対してはマスターなのだ。
 でも逆に言えば、そういう時期って、どんな人間にもなれる可能性を感じられる時でも、あるわけだよ。私は、映画が好きで、映像やサウンドの快楽も、もちろん、あるんだけど、心の底の方では、常に、登場人物がある状況に置かれた時、どういう行動をとるか、ということに、すごく関心が向かっているんです。即興演奏も、ある意味では一種の極限状況なわけで、一瞬一瞬、どういう音を、どう出すべきか全身全霊をかけて、決断しているんです。つまり、どちらも日常生活を、どう生きるか訓練してるのかもしれないな。常にベストをつくして、やれるだけのことは、やって、自分なりの判断でもいいから、カッコよく死にたいよね。


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