グッドマン・インタビュー

その75 (2000年12月)

鎌田雄一


 多田葉子 (as, ss)

1961年10月5日、千葉県、習志野市に生まれ、育つ。
立教大学、社会学部、卒。
グッドマンには、今年の7月より毎月、ソロで出演。

梅津さんのマネージャーをやるようになったイキサツは?
 コピーライターで生計を立てていた頃、もっと色んな世界を見てみたい、という動機から、とつぜんサックスを購入して、新宿の「J」という店で、バイトを始めました。そこに、某J.L誌の編集者がよく呑みにきていて、話をしているうちに、梅津さんの「アケタの店、大仕事」の取材記者に採用してもらいました。大仕事の2年目です。それに毎日通ううちに、これはスゴイ!!と思ってハマッたのが契機でしょうか。その後もライヴに通って、CD売りの手伝いとかしているうちに、梅津さんも、ちょうど所属事務所を辞めることになり、他のことも手伝うようになって、今に至ります。だから、あまりマネージャーという意識もなく、そういう仕事に興味は、ないんですよね。一緒に考えて、一緒に創る、という意識で、やらせてもらってます。

サックスは梅津さんに習ったんですか?
 サックスを、まず買って、習いに行ったのは、ジャズスクールです。初心者コースで楽器の持ち方とか初歩から習ったんで、ならいごとをするのは小学校のピアノ以来で、けっこうまじめにエチュードとか練習しました。あとは公園で練習したり。……でも、それから中級というか、ジャズの先生について、しばらくたって、だんだんつらくなってきまして。理論とか、アドリブのコピーとか、課題は次々と来るのですが自分のペースでは、とても消化できないのと、すごくはりきって楽しんでデタラメやってる気分が、だんだんそこなわれて「お勉強」になってきちゃったんですね。私は自分勝手にやった方が、のびる!と勝手に決めて、やめました。
 今も梅津さんにはテクニック的なことを時々アドバイスしてもらいますけど、それよりは、音楽の考え方、楽しむ、ということを何より教わっていると思います。

ひと前で演るようになったのは、いつ頃からですか?
 '92年頃、梅津さんの企画で、新宿ピットインでクレズマーオーケストラをやりまして、それが面白いから続けていこう、となったときに、リハーサルに、くっついているうちに「できなくてもいいから一緒にやってみれば」と誘っていただいたのが、バンドも、ひとの前で演奏するのも、はじめての経験になりました。自分の、今でも憧れはブラスバンドなので、クレズマーでは、そういった部活?のノリで楽しくやらせてもらってますが、メンバーの中で唯一、ド素人だったわけでした。
 その後「ベツニナンモクレズマー」の一員として参加しながら、沖縄での商店街の祭り、ストリートフェスティバルにクレズマーオーケストラの小編成として参加したのをキッカケに「こまっちゃクレズマー」というのが発足しまして、6人編成のバンドで、このユニットでは3〜4年前にモンゴルにも行き、その後も東京以外の地方ツアーを中心にツアーを組んでいるので、まるで遊びに行っているみたいに見えますが、ライヴハウスではない、こんなトコで、というような場所で、音楽と人を介した「お祭り」をすることが出来、私自身は幸せを感じています。
 さらに昨年からは、サックス4人の「ホーボーサックスカルテット」にも参加してます。梅津さんのバンドの中で、もっとも機材も会場費も経費も、かからないグループという特性がありまして、こちらでは、今年、モロッコに文化交流ツアーとして行き、市場やカスバの中など、いろんな所で演奏しました。

全国、津々浦々、行かれてるようですが、各地の印象は?
 それほど日本全国に行ってるわけでは、ないので、その時、その地で出会った人達を通してしか物事は見えていない、という前提で、何か感じたこと、というのであれば……。私の印象では、物事がシンプルで考えやすい。人間が単純という意味では、なく、生き方のペースというか……。情報過多、スピード化が極まっていて、プレッシャーの多い東京から、そういった地域に行くとたしかに、いやしの効果を感じます。……でも人々は、のほほんと生きてる訳じゃなくて、自分のテーマもあるし、野心とか、アイディアもあって、それは、すごく刺激的です。各地で面白いことを起こしてやろうという若い人にも沢山会いますが、40代や50代で元気な人たちに出会うと、非常に元気な気分になります。沖縄のような所では、ジーちゃんやバーちゃんも生活の外にではなく、すべての世代と一緒に生活を楽しんでる。そういう土地にも本来あるべきものを感じます。

モンゴルやモロッコも基本的には同じことが言えるんでしょうか?面白いエピソードとか、あれば、きかせて下さい。
 モンゴルでは、まず、あまりに自分の知人のソックリさんが多いので笑っちゃいました。日本人とルーツは同じ、というか、本当に農家のオジちゃんみたいな親近感のある姿、格好、それだけで、まず、うちとけてしまう、というのは、ありますね。……でも草原で馬に乗ると、もうさっそうとして、やっぱり騎馬民族の血を見せつけられるという……。
 我々楽隊が草原で音を出していると、まったく四方草原で、何も見えなかったのが、はるか遠くから音をききつけて、馬の大群が、やってきたり、近隣(といっても相当、遠いんでしょうが……)のゲル(パオともいう移動式テント)から、ウワサをきいた人々が何事かと、やって来て、あっという間に人と馬の一群と成ってしまったのには、おどろきました。
 通信手段が何もないところでも、風のウワサといいますが、まさに音や、気配で感じとって行動する、というのが、まさに草原の民の本質みたいな気がして、興味深かったですね。そうとう耳がいいんでしょうね……。又、人なつこい。外からの人にも興味が強く、まあまず呑めや、みたいな、つきあい方も日本的な共通部分を感じました。(世界共通かな?)
 モロッコは逆に、アラブ系の濃い容姿。生活もイスラムの戒律が厳しく、まさに日本とは正反対の土地柄なんで、酒好きの日本人は緊張しながら少しづつ寄っていった、みたいな近づき方だったんですが……。これまた、ジャン・エル・フナという大道芸で有名な広場で演奏を始めると、どんどん人がおしよせてきて、皆、もの珍しいことは大好きなんだ、と思いましたね。手拍子のリズム感も抜群で、やっぱり音楽があたりまえにある生活をしている人たちは、違います。……ただ、あとで、その時、撮ったビデオをチェックしてみると、あんなに顔のすぐまん前まで接近している人たちが、よく見ると、我々のことを直視していないで、どこか、あさっての方向を見ながら拍手してたりするんですね。……理由は、よく判らないけど、ジッとみつめると悪いと思ったのか、何かエンギでも悪いのか……?いずれにしても、外来のもの、ひと、にすごーく興味を持っていることは確かで。……ものめずらしく見られる、ということも、仲々おもしろいものだ、と体感しました。

話を、世界から、いっきに、陸の孤島と言われているグッドマンに移しまして、多田さんは10月の時点で、1時間ステージのソロを4回やったわけですが、感想というか、感触は、どんなもんですか?
 とにかく、自分のバンドというのも持ったことがなく、修業というつもりで、この陸の孤島に、とびこんでみたわけですが……。やはり、最初の、第1回目のときは、相当緊張しました。自分が人に聴かせるものとして1時間も演奏できるのか、という不安が先ず、あり、頭のなかで予行演習して、曲のこととか、困ったらこうしようとか、ゲームピースみたいなものも考えてみたりしたのですが、1回やってみたら、何か、何も準備しなくても、いいじゃないか、という気になって、2回目からは何も頭で用意せずに臨むことにしました。
 どんなに上手な人でも、ソロでずっと目一杯、客を楽しませることが出来るか、というと、かなり難しいと思うのですが、何か「オッ!」というものが、あれば、とりあえずOKじゃないかな、と。
 ともあれ、まだ4回ですから、これからですね。

では、最後に、前回インタビューした難波さんからの質問で「最終的に、どういう音楽が出来たらいいな、と思っていますか?」
 最終的に……というのは、自分で設定する気はないので、この世から居なくなってしまう時が、最終だと思っているんですが。
 そういう意味では、ずっと自分が好き、良いと思うものを、追いつづけて、演っていきたいと思っています。
 たった一音でも、ジーンとくる音が出せれば幸せですが、それと共に、たくさんの人とか、良いものと出会って、刺激されて変わりつづける自分でありたい、と願っております。


今回、いつもの倍ぐらいの量、取材できたので、少しけずらせて、もらいました。それでも、のせきれないと、いけないと思って小さい字で、ずっと書いていたら、最後、少しスペースが、あまってしまいました。
 多田さんちは、何と地元の荻窪でした。次は黒井絹さんの予定ですが、長野県だから、どうしよう。

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