グッドマン・インタビュー

その (2003年1月)

鎌田雄一


西山克幸 (chapman stick)

1967年12月1日、埼玉県蕨市に生まれ、育つ。
立教大学、社会学部、産業関係学科、卒。
グッドマンには、2000年8月より、鎌田雄一ss 高原朝彦g との「罪人の庭園」に参加、2ヶ月おきに出演。他にもゲストで時々、出演。1月は、鎌田ss 細田茂美g とのトリオで出演します。

まず、チャップマンスティックについて、多くの人が知らないと思うので、説明してもらえますか?
 スティックというと、パーカッションをイメージされる方が多いのですが、弦楽器です。
 ギターの奏法で、タッピングというものがあります。弦を押さえる動作をするときに、弦とフレットが触れて、かすかな音が出る。その音だけで演奏するのがタッピングで、普通のギターなら左手で押さえ、右手で瓜弾きますが、タッピングは両手で押さえる。チャップマンスティックは、そのタッピングを専門に行なうことが出来るように作られた楽器です。
 見た目は、ギターのボディーをはずして、ネックだけを持って来たような棒状の形で、弦は10本が基本。音域はギターとベースの音域を合わせたくらいの幅があります。
 アメリカのエメット・チャップマンという人が独自に開発、製造しています。エレキギターと同様に、電気のピックアップで音を増幅することで演奏します。生音は、とてもかすかな音なので、ほとんど聞こえませんから、電気あっての楽器ですね。そのため、エフェクターなどを使って音色をさまざまに変化させることが出来ます。
 開発されたのは1970年代のようです。'80年代くらいにジャズやロックのミュージシャンが使いはじめて、細々と現在も続いている感じでしょうか。……ただ、ミュージシャンの間では、結構知られていて、表立っては弾いていないが、持っている人、言わば、影のスティック人口というのは、意外に多いようです。それが何人くらいなのかは、私も知らないのですが。

スティックを演奏するようになる前は、何か楽器をやってたの?
 エレクトリックベースを18才位から7〜8年やっていました。トニーレヴィンというベーシストが好きだったのですが、彼がベース楽器としてスティックを弾いているのをみたのが、スティックとの最初の出会いでした。

パッと切り替えたの?それとも重復する期間はあったの?
 やはり手に入れて、実際に人前で弾けるようになるくらいまでは、ベーシストとして、従来のベースを弾いてました。そのうち、曲によって持ち替えたりするようになりました。……当初からスティックという楽器の特性が、自分に合っているような感触は、あったのですが、あくまで自分はベーシストだという意識で、ベース的アプローチをしていましたね。……スティックは「スティックベース」と呼ぶ人がいるくらいに、ベース楽器専門にしても、充分成り立ってしまうくらいに音の独特な個性が、ありますから。
 それがだんだんと、その楽器の個性に引っぱられるようにして、ベーシストの領域から、はみ出していった感じです。……そうなってくると、通常のベースを弾いている意味が、だんだんと薄れていって……。スティックは、身近に、習える先生がいるわけでもないし、教本も、ごく限られていましたが、その分、自分なりの弾き方、自分が求めている音というのを追求していける楽しさが、ありました。道なき道を行くワクワクする感じですね。そうしているうちに気付いたらスティック専門でやってました。

バンド仲間の反応は、どうでしたか?
 さまざま、でした。いくつか当時かけもちでバンドに参加していたのですが、何か今までにないものをやろうとしているバンドでは面白がってもらえましたが、逆に、自分の音のイメージをはっきりと持って、やっている人にとっては、戸惑いとともに、持て余されてしまうこともありました。特に、始めて間もないころは、演奏力の間口もせまかったですから、それまでの私のベースプレイを気にいってくれていた方ほど、スティックの音が物足りなく感じてしまったのでしょうね。スティック独自の色で、スティックならではのプレイができるようになるまでは、ベースでやれること、ベースでやった方がうまくできることは、従来のベースでやっていました。スティックに切り替えてからは、求められることもスティックという楽器を前提にしたものになりました。

確か、グッドマンに最初、出たのは、今もレギュラーメンバーでやっている「キリングフロアー」のリーダー福島幹夫さん(sax)のソロにゲスト出演だったと思うのですが、即興演奏をするようになったのは、いつ頃から、どんなキッカケで?
 やはり、スティックを弾くようになった頃からです。そもそもスティックという楽器が、私を即興演奏に向かわせた大きなきっかけでした。ベーシストの頃は、即興的な演奏というものに、それほど大きな関心は、ありませんでした。むしろ、ファンクやソウルなどの、グルーヴに重きがある演奏をしていました。
 ちょうどグッドマンにゲスト出演するようになったのと同じ頃だったと思うのですが、ベーシストの吉沢元治さんのワークショップにスティックを持って参加しました。そこでの体験が、即興演奏の面白さを知った一つのターニングポイントだったと思います。

神の導きですね。だって、グッドマンが、ジャズ喫茶からライヴの店になるキッカケとなったのが、吉沢さんのベースソロでしたからね。
即興演奏の難しさを知ったターニングポイントは、ありますか?
 今までは、常に難しさより面白さ、楽しさが上回っていて、壁とか、いきづまりのようなものを感じたことは、ありませんでしたね。……幸か不幸か……ただ、もしかすると、まさに今、現在が、そのターニングポイントかもしれません。
 演奏そのものを変化させたいとかいうことよりも、むしろ演奏、ひいては音楽そのものに対する自分のスタンスを変えたいという意志が先行している状態です。現在、それにつれて、演奏そのもの、そして周辺の環境が、ゆっくりと方向転換している感じ、というのがあります。……それにしても、そこにあるのは、演奏そのものの難しさというよりは、そのスタンスをつくりだしていく難しさ、という気がします。ただ、これからも楽しく演奏活動を続けていくためには、この作業が今の私にとって必要なものに思えるのです。
 ライヴハウスのような場においては、演奏というのは、演奏する者と聴く者が、音楽を通して何かを共有し、何かをつくりあげていくことが、そのだいご味だと思うのです。演奏する者が何かを投げかけ、それを、聴く者が投げ返す。……演奏する立場としては、やっぱり、いろんなものが、いろんな形で投げ返されてきて欲しいな、と思うわけです。そのためには、自分の持っている限られた球種のなかで、どういう投げ方をするかを、もっと考えたいと思うのです。……今までは、そのあたりを、あまり何も考えずにやって来たような気がするのです。もしかすると、それは演奏に付随するような二次的なものなのかもしれないのですが、そこに意識の重点を持っていくことによって、自分にとって望ましい演奏の場というのが形づくられてゆく実感が、あるんですよね。

では、ラストに前回インタビューの田宮さんからの質問で「屋根のない場所でソロコンサートをやるとしたら、どこでやりますか?」
 お祭りが終わった後の境内とかで、皆が興奮と疲れの中で、がやがやいってる中に、おもむろに出ていってやってみたいです。……非現実の時間から、また現実の時間、空間へ、皆が気持ちよく帰ってゆける橋わたしができるような、そんな音を奏でてみたいですね。


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